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雑記

文化的国境

スマートフォンと、その上でつながりを生み出す SNS の登場で、世の中は様々な面で変わりました。良くも悪くも、止められない変化は今日も進行しています。多面展開する日本企業と一点集中するアメリカ企業の前提の違い、で言及した文化的な国境についての考えです。

端的にういと、国境の位置が変わっています。

国境とはこれまで、国と国の間に存在していました。物理的な地面の上で、地政学的な差を定義していました。それによって、内と外が誕生し、人々のアイデンティティーが定義されていました。一方でスマートフォンと SNS がつくりだす繋がりの中では、そのような境目は存在していません。インターネットはひとつの大陸のように、地続きで存在します。そして消費されるコンテンツは市場規模の急拡大に伴って均一化されたました。そこに、文化的な差異は少なくなっています。

未だに言語の壁は存在しますが、その差が少ないところについては、一気に画一化が進んでいます。コンテンツ市場の拡大ともいえますが、インターネットは確実にお互いの参入障壁を下げており、文化的侵攻を容易にしています。その結果として、この先小規模の文化が失われていく可能性が想像できます。あるいはすでに、失われ始めているかもしれません。

特に、外部の文化に対する抑制が強かったエリアでは、蓄積され続けた需要も相まって、変化が急激に進む可能性があります。どこかのタイミングで、後戻りできないほどの爆発となるでしょう。

その結果あらたに誕生するのが、文化的な国境です。境目です。これまでの国境がそうであったように、その境目によって何を信じるかが異なり、内と外が描かれ、アイデンティティーが形成されます。
問題として起こり得ることは、その文化的国境が、単一の国の中でも発生するということです。壁が生まれるのは、世代の間であったり、インターネットリテラシーの異なる生活環境の中であったり、あるいはアクセス可能な端末を所有できるかどうかの貧富の差がある場所だったりします。

特に、インターネット、スマートフォンネイティブの世代とその上の世代との隔たりは、今後も混乱を生むことでしょう。日本には言語的障壁が高くあり、それが文化的にも大きな違いを生み出しています。また、国内の消費者人口も一定数存在しているため、この世界の流れからはしばらく取り残される傾向にあります。それでも、Netflix のコンテンツは今日も画一的な文化を形成する方向に圧力をかけています。これからそこがどう切り崩されるのか、興味深いです。

今後、コロナ禍が長引き自宅待機が多くなれば、物理的な違いはますます無くなっていきます。地域の文化は失われ、地元のお祭りなどは過去のものとなり、自宅で世界中の人と同じコンテンツを消費する社会の誕生です。

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