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雑記

日本の人権意識がどれほど低かったか

最近、過去の発言や出来事が掘り返されて炎上するという事案が多数ありましたが、それは今後も続くのだと思います。SNS が無制限に広まりそれに対する抑止も効かない今、形を変えつつ拡大していくのでしょう。

バイトテロみたいなリアルタイムの炎上が主流でしたが、これからは時間差ボムも多数出てくるとことが予想されます。それによって、無数の匿名のオンライン人格が、世論に影響を与える事例も出ていますので、しばらくは止みそうにありません。

なぜしばらく続くのかと思うのかと問われれば、もちろん SNS の拡大とそれに対する制約の無さも挙げられるのですが、それ以上に過去の日本の倫理観というか、人権意識が低すぎたことが最大の要因と考えています。

覚えている範囲でも、割とひどいものでした。
例えば中学生の髪型に自由がなく、男子は丸刈り、みたいなことがまかり通っていました。ほんの10数年から20年のことだと思うのですが、今考えたらあり得ないことです。ルールを変えることに対しての意識も低く、伝統という言葉で人権は無視されてきました。部活に蔓延った根性論もそうでしょう。そんな状況から良いものが生まれたはずがありません。

最近、攻撃的なお笑い番組に対して倫理的な問題が指摘されていましたが、それはもう時代の流れとして当然のことだと思っています。自由がなくなったとか、お笑いの世界が狭まったとか、こんなこともできないのかという悲観論も出てくるかもしれません。当事者となる芸人さんとしてもやっていられないと感じ、生きにくい世の中だと嘆くのでしょう。
でもそれは仕方なくて、そういう時代に変わったのだから、演じる側も場所を変えるか表現を変えるかしなければならないだけのことです。要は、地上波放送でやるべきではないのです。すでに Netflix や Amazon Prime、あるいは YouTube で、過激なことを求める人たちのための場があることは証明されました。

時代の空気というのは確かに存在します。前の時代からの感覚が積み重なり、その時代に特有の前提が共有され、文脈が形成されます。それによって、その時だけ魅力的なことであったり、その時だけ当たり前なことであったり、さらにはその時だけ許されることが誕生したいりします。そうやって、文化としても受け継がれていくものもあります。
これまで、それらが時を経て振り返られることは稀でしたし、難しいことでした。また、異論を唱えるにも唱える場所も人も限られていました。だから、表面化しなかっただけです。

きっとこれまでにも、これはおかしいと思われてきたことが常にあったのでしょう。
現代は、科学と、高度に発展した倫理観とがインターネットに乗り、変化を促しています。生きにくいのではなく、適切なあるべきところに向かって高速で変化をしているだけだと考えられます。時代にそぐわないものがあったのなら、今はそのためだけの表現の場やコミュニティーだって作れるはずです。そこに移動すればいいだけのことであって、みんなが我慢する必要は有りません。

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