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雑記

生産性は崇高な概念では無い

知的労働というものがあります。現代社会を支える多くの職業がその知的労働に該当するわけですが、その世界の中ではどうしても生産性が見えづらくなる問題があります。
生産性は、常に注目の対象です。つい言葉だけが一人歩きしてしまいますが、抽象度を下げて考えれば何をもって生産と呼べるのかは明確になります。

作物を生産する場面に当てはめれば、今日どれだけ畑を耕したかが指標となります。何平方メートルなにか、出来具合はどうか、一目瞭然です。そして種を何個撒いたかもはっきりとしています。さらにその先、収穫という成果物が生み出されるかどうかによって、生産性は決定的に定義されます。
収穫がなければ、生産性は無いことになります。残酷な真実ですが、過程からアウトプットに至るまで、わかりやすい世界です。

つまりは知的労働であったとしても、すべての段階においてこのような成果が生み出されていなければならないのです。やっていることは、結局のところやり方が違うだけで、生産なのです。抽象的な世界では事実が見えにくいため、掲げた KPI をひたすら追いかけるだけになりがちです。

大きく考え出すと、100の成果を生み出すための日々の努力をしているように感じることが出来ますが、もし100に到達しなければ成果物が出てこないということであれば、当然そこに至るまではずっと成果は0のままです。その瞬間で見れば、生産性0ということです。対外的にも、そして主観的にも、その状態は厳しいです。でも、そうなってしまいがちなのが恐ろしいところです。
いくら大きな目標を共有し認識できていたとしても、目先の小さな生産物の積み重ねがあってこその前進であり、生産です。いきなり100のものが生み出させるわけはありませんので、スケールを細かく認識し、毎日毎時間、1や0.1を積み重ねるしか方法は無いわけです。その場合、1日1進むなら、100日かかります。そこをもっと早く、確実にするための考え方が、生産性向上です。残念ながら、いきなり100を生み出せる魔法の生産性向上テクニックが存在するわけではありません。

何事も抽象的に概念化することは現代社会において必要不可欠なのですが、どうしてもそれだけではわりと真理に近いことが見えなくなることがあるので、思い切って抽象度を下げて理解を納得をすることも必要だと思います。

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