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雑記

モーニングルーティンの重要性を教えてくれた仕事をしない人たち

たくさん働くことが、生産性が高まる唯一の方法だと思っていました。それは間違いではなく、それもひとつの真実であることに変わりはありません。しかし、それだけが重要ではありませんでしたし、他にもアプローチがあって、人それぞれに適したやり方があるということがわかってきました。

昔、10代後半からしばらくの間は、いかに寝ないかを考えて、床で寝ていました。とにかく長時間作業をすることが正義だと信じていました。ぶっ通しで18時間作業をすることもよくありました。でもこれは、スポーツ界で言うところの水を飲まないで練習を頑張る状態だったのではないかと振り返って思います。
果たして生産性は高まっていたのだろうかと、疑問に思います。今となっては比較のしようがありませんが、やはり他の方法があったと今は考えています。

例えば、どれほど時間がかかってもかまわないからと、慎重に日々のルーティンを重ねて、丁寧に儀式めいた「生活」を送り、わずか数時間しか仕事をしない人をたくさん見てきました。そういった人も、驚くべき成果を出しています。
そこにモチベーションなんてものは必要なく、ただただ当然のように「生活」がまずあって、その生活の上に、ピンポイントで「生産」が行われるのです。あるいは「仕事」と呼んでも良いかも知れませんし「創造」とも呼べます。その様はある意味で、近代化されていない原始的な生活に近いものがあります。
儀式に従う場合、やる気に満ちてなどいる必要はありません。太陽が登れば起きて畑を耕す、というサイクルに近い印象を受けます。

逆に、寝ないで生活の時間も削って、時間のロスを最小限にして仕事をしている人も知っています。そんな人もまた、驚くほどの生産性を発揮しています。時間こそが結果を導く仕事もたくさんあります。

要するに、どちらかが正解ということではなく、何をやるかが遥かに重要ですし、誰がやるのかということも変数として影響が膨大です。個々の特性に合わせて、より適しているアプローチを選ぶという選択の問題なのです。長く続けるためにやるのか、若くエネルギーがあふれる時期の一瞬の瞬発力にかけるのか、意識的に選択するべきことなのです。逆に言えば、無策に選択するものではありません。
それにこれは、仕事、目指す成果物の内容や、当人の性格や体調に依存しるもので、常に一定ですらないはずです。長い目で見れば、1人の人の中でも、移り変わっていくものです。スキルの熟練度との関係もあるため、キャリアのどの段階かということや、その先に見据えるものの内容にもよって変わるでしょう。

仕事術的なものは鵜呑みにせず、戦略的に考えた上で、適性を元に積極的に選択することが肝心です。生き方に多様性が認められるようになりました。唯一絶対の正解があるわけではなく、数少ない選択肢から選ぶものでもなく、それぞれが目指す生き方を認められる時代です。働き方も、結果の出し方も、多様化の時代なのです。

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