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ライドシェアが切り開く自動運転時代の駅

Uber 登場時、いくつものイノベーションを体感したが、その中でも一番は自由度だった。複雑な手続きなしに利用でき、そして何より、どこでも自由に乗り降りできることが、ライドシェアの革命だった。

電車と違い、駅までの移動というものが存在せず、今いる場所に車を呼ぶことができる。その便利さは、従来のタクシーではありえない体験だった。

しかし、ライドシェアの利便性が破壊的過ぎたことで、タクシー業界とは衝突することになった。おそらくそれが原因だろうが、今では主要な施設においては乗り降りの場所が指定されており、当初の自由さが無くなった。多くの場合、タクシーの方が便利な場所を押さえている。タクシー業界の保護のためだろうが、利用者としては残念な限りだ。

Uber Eats にしても、受け取ることができる場所が「ホテルのロビー」のように指定されてしまったら、魅力がほぼ失われてしまう。それと同じだ。

現状は、ライドシェアのインフラを利用して、商業施設や交通機関が私設の駅を作っている状態だと言える。タクシー乗り場とは明確に線引きをされた、新しい種類の駅が日々増えている。道路というインフラさえあれば、それは比較的容易に設置できるため、都市設計において、民間の努力次第でいくらでも増やせる。

ライドシェアは利用料金が他の公共交通機関と比べて高いため、万人向けというわけではない。また、多くの人を大量に運ぶこともできないため、大規模施設には向かない。その点は、ライドシェア駅の新設では解決できない問題だが、電車やバスの駅を新設することは、一個人や法人では難しい。予算も時間も相当必要になる。

ちなみに僕がこの数年間拠点としている東京・銀座エリアでは、タクシーであっても時間によって乗る場所が限定されてしまっている。あれはもう、効率の悪い駅だと思う。一方で、最近は Waymo が走っている姿を見ることが増えてきた。だったら早く、自動運転の駅にでも変えてほしい。

そう思ったとき、気がついた。

もし自動運転タクシーが増えてきたらどうなるだろうか。
自動運転のタクシーが、ロンドンのバスのように連結した大型のバスになったらどうなるだろうか。

それはこの先、大きな価値を生むかもしれない。道路というインフラを積極的に利用し、人やモノの流れに介入できるからだ。考え方によっては、地価の高い都心部でなくても、人やモノを大いに呼び込むことができるかもしれない。

つまり今のうちに、ライドシェア駅は作っておいた方が良い。ライドシェア不毛の地日本にはまだそれは存在しないが、これから造られる商業施設などにおいては、必ず造っておいた方が良い。

逆にそうしないと、人も、人型ロボットも、ドローンも、寄りつかない場所になってしまう。

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Def Con 33

AKATSUKI として。

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Cloudflare Pay per Crawl はデータ過払い問題の解決策になりえるのか

新たなトレンドの誕生

Cloudflare が先日発表した Pay per Crawl は、AI クローラーによるウェブコンテンツ収集に対して、1リクエスト単位で課金可能にする仕組みだ。これまで、AI クローラーをブロックするか全面的に許可するかの二択しかなかった中で、「条件付き許可+課金」という第三の選択肢が生まれたことになる。

データには価値がある。それは一方的に搾取されて良いものでは無い。所有権を適切に取得できる技術的解決策が必要であった。今後、Google をはじめとした企業の情報の扱い方やビジネスモデルそのものが、根底から見直される可能性もある。マイクロペイメントの活用方法としても興味深い。

クロール制御 API の仕組みと新モデルの特徴

このモデルの中核には、HTTP ステータスコード 402 Payment Required の活用がある。AI クローラーがウェブページにアクセスすると、Cloudflare 側がまず「支払い意志付きのリクエストかどうか」を確認する。支払い情報付きヘッダーがあれば HTTP 200 でページが返るが、そうでなければ 402 応答とともに価格情報が提示される。その金額に同意したクローラーは再度、指定の支払い情報ヘッダーを添えてアクセスし、初めてページを取得できる。

この一連の交渉と処理の仲介を Cloudflare が担う。決済処理やクローラーの信頼認証も含めて一体化された仕組みで、技術的には「支払い付き HTTP アクセス API」として機能する。認証機構を含め、非常に考えられた設計だと思った。

既存の robots.txt や meta タグによる制御との最大の違いは、「強制力」と「対価性」にある。Cloudflare のネットワークレベルで制御が行われるため、明示的に拒否すれば物理的にアクセスを遮断できる。そして、マイクロペイメントによる条件付き許可が可能になった点で、従来の「お願いベースの規範」から「経済契約に基づく制御」へと移行している。

本来は、ブロックチェーン上のスマートコントラクトで実現されるべき社会構造だったのかもしれない。だが実際には、またしても民間企業の実装によって、社会が先に動き出した。

データ経済の再構築と日本市場への波及

これまでのウェブにおける情報流通では、「人間の読者に読まれること」が前提だった。広告で収益化するにも、課金するにも、人間が訪問しなければ価値が発生しなかった。

しかし生成 AI の普及により、情報は「人間に読まれずとも使われる」時代に入った。AI が大量のコンテンツをクロールして学習しても、その対価が提供者に還元されない。この「読まれずに使われる情報」にも課金できるという点で、ペイ・パー・クロールは新しい情報経済の基盤になる。

とりわけ、日本の地方新聞や中小メディア、専門ブログのように、広告トラフィックではマネタイズしにくかった領域にも、AI クローラーという新しい「読み手」が現れる。AI がニッチなデータを必要とする限り、そこには価値がある。今後は「読者を増やす」だけでなく、「AI に使われる情報を精緻に提供する」という戦略も成り立つようになるだろう。

一方で、AI 開発企業側にとってはコスト構造が変わる。これまでは公開された情報を黙って収集できたが、今後は情報単位で料金が発生する。これは、電力や計算能力資源と同様に、データも「有償で調達すべき資源」として扱われることを意味する。

また、取引の集約点としてのデータセンターの役割も強まる。Cloudflare のように、ネットワークと決済基盤を同時に握るプレイヤーが流通のハブとなれば、情報が「流れた場所」ではなく「通った場所」に収益が生まれる構図が強化される。これは、以前論じた「ワット・ビット連携」における「電力の分配=計算資源の分配」と同様に、情報経済でも再びインフラ層が主導権を握る兆候だ。

データ過払いの是正と情報主権の確立

ペイ・パー・クロールが持つ最大の社会的意義は、「データ過払い」の是正にある。多くのサイトや自治体、教育機関、個人の発信者は、自分たちの情報が AI に使われていることすら知らないまま、コンテンツを提供してきた。

それに対し、ペイ・パー・クロールは「使いたければ支払え」という交渉可能な構造を提供する。これは、個人にとっての「情報の自己決定権」を回復する試みであり、情報主権の確立に向けた第一歩といえる。

また、1リクエスト単位でのマイクロペイメントが可能になることで、収益モデルも多様化する。従来はバズらないと収益が出なかったが、今後は「質の高いニッチ情報を持っている」だけで収益が出る可能性がある。情報の価値が量から質へとシフトしていく構造だ。

教育機関や自治体、さらには個人ブログまでをも含めた「情報提供者」の裾野が広がり、その情報が流通する際に、相応の価値が還元される。これまで見過ごされてきた情報が、今後はエコシステムの中で正式に「取引」される時代になるだろう。

ペイ・パー・クロールは、単なるトラフィック制御技術ではない。それは、生成 AI 時代の情報流通をどう制御し、どう価値に変えるかという「新しいルール形成」の試みである。

まだ始まったばかりの仕組みだが、今後、日本のメディア産業やデータ政策にも波及することは間違いない。情報の生産者と利用者のあいだに健全な経済的関係を築くこと。それが、AI 時代にふさわしい情報社会のインフラになるはずだ。

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Tenstorrent と Jim Keller から目を離せない

日本で Tenstorrent の名前を目にする頻度が増えたのは、やはり Rapidus との提携以降だと思う。

Tenstorrent は、ただのスタートアップではない。むしろ、GPU 時代の次をにらんだ、最も注目すべき集団だと思っている。何より、Jim Keller がいる。

彼は、CPU アーキテクチャそのものの歴史を歩いてきた人だ。AMD、Apple、Tesla、Intel。Jim Keller の名前が関わっているプロジェクトを並べると、それはほとんど近代プロセッサアーキテクチャ史そのものだ。
その彼が、CTO 兼 President として合流した時点で、普通の会社ではない。しかも今は CEO に就任している。

Tenstorrent が取り組んでいるのは、AI チップ等をモジュール化し、オープンなエコシステムとして分散可能な演算プラットフォームをつくるという発想だ。GPU のように巨大でクローズドな単一チップに頼るのではなく、必要な計算機能を、最適な構成で構築できる世界をつくろうとしている。
これは設計思想の転換であり、ハードウェアの民主化でもある。

Tenstorrent は 2023年から本格的に日本市場に進出しており、Rapidus と連携し、2nm 世代のエッジ AI チップの開発に取り組んでいる。
日本政府が支援する半導体人材育成事業でも、上級コースを Tenstorrent が担っており、日本人エンジニアを数十人単位でアメリカ本社に送り込んで OJT を行うという本格的な協力体制が整っている。これは単なる技術提供でも、顧客関係でもない。一体化と呼んで良いほどの関係だ。日本の国策案件にここまで深く入り込み、しかも日本の自律性を尊重した形で技術を開示しているアメリカ企業は稀だ。

Tenstorrent は NVIDIA の対抗馬として語られることもあるが、個人的にはもう少し複雑な位置にいると思っている。

AI チップの物理的な実装においては、NVIDIA のような巨大プラットフォームが引き続き主流になる可能性は高い。しかし、汎用 CPU との異種統合、アプリケーションごとの最適化、分散型 AI システムの拡張性という観点では、Tenstorrent の戦略はまったく異なる次元で設計されている。
むしろ、NVIDIA の作らない領域をすべて取りに行くという構図に近い。

また、オープンソースのソフトウェアスタックや、RISC-V の普及促進にも力を入れており、その意味では ARM とも方向性が異なる。Tenstorrent の立ち位置は、ハードウェアとソフトウェア、開発と教育、設計と製造をまたぐ。そしてその存在は、固定化されていたチップ設計の常識に対し、「選べる」「組める」「変えられる」という自由の圧力を加えている。

Tenstorrent のような企業は、どの領域で競合になるか、あるいは協業になるか、予測が難しい。だが少なくとも、日本というフィールドを選び、ここまで深く入り込んでいる事実は見逃せない。

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デジタル赤字

経済産業省 PIVOT プロジェクトのレポートを読んだ。

これまで個人的にも、電力と計算能力資源が国家間・企業間で価値の基軸になりつつあると繰り返し主張してきた。経産省 “デジタル経済レポート 2025” でも、まさに同じ問題意識を“デジタル赤字”という統計的ファクトで可視化している。「稼げる領域で稼げていない構造」が根本原因だと明示された点が重要だ。

また、報告書は SDX – Software Defined Everything を前提に、自動車や産業機械の輸出競争力までもがソフト依存になると警告する。SDX 時代の“隠れデジタル赤字”を直視し、長期視点で戦略を組み、早期に実行していくことが欠かせない。

具体的な実装アイデアとして、低層レイヤーの技術革新による業界スタンダードの奪還はもっと真剣に議論されるべきだと感じた。プラットフォームごと選択肢を他者に握られる未来だけは回避したい。その危機感を行政文書が公式に共有した意義は大きい。

レポートは危機感を訴え、行動を呼びかけている。対して、僕らが進める エッジ DC × 再エネ × 海外 JV の取り組みは、その一つの応えになり得ると思った。計算能力資源を保有し、得意領域を尖らせ、市場に展開する。それも国内完結ではなく、日本モデルを輸出する形で。ここ数年かけて描いた事業マップは、レポートの処方箋と重なっている。

やるべき事はぶれない。それを再確認できた。

未来は静かに、しかし確実に動き始めている。

先日主催したイベント、ENJIN のオープニングで掲げた言葉そのままだ。今日も淡々と、だが確信を持って実装していく。

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サイバー戦争と“士”の時代

ガンダムが描いた逆説的な未来

戦争と技術開発の進化は、しばしば似た軌道をたどってきた。剣や弓を手にした“士”の時代から、機関銃へ、そして大量殺戮兵器へと。1対1の近接戦闘から、1対nの長距離戦闘へ。拠点を離れて制圧するというロジックが、近代以降の戦争の主流となった。

その流れに対する逆説が、アニメ『機動戦士ガンダム』に描かれている。高機動・長距離戦闘が常識となった未来で、再び個人の技量と接近戦が戦局を決定する。機械の鎧をまとった“士”たちが、1対1の決闘を繰り広げる世界。ガンダムは、戦争が原始に戻る未来を描いていた。

サイバー空間における“直接戦闘”の再来

この構図は現実にも重なる部分がある。近年の戦争や産業競争では、ソフトウェアと情報のスケーラビリティが支配的だった。だが今、国家は物理層への攻撃に戦略を転じている。ネットワークの分断、ハードウェア供給網の遮断。クラウドや AI が依拠するインフラそのものを破壊しようとする動きが始まっている。

ソフトウェアを無力化するために、電力や半導体といった“下層”を狙う動きが加速している。その結果、戦いは再び物理的な“直接戦闘”へと回帰しつつある。優位に立つために、OS、ミドルウェア、開発言語をハードウェアに最適化し、演算効率やセキュリティ性能を極限まで高める。サイバー空間における“刀と盾”の開発競争が、いま再熱し始めた。

AI 戦争にも忘れられた“士”が必要だ

AI 開発も例外ではない。クラウド、LLM、API──そうした上層の技術が注目を集める一方で、真に差がつくのはハードウェアとの統合設計にある。分散処理、冷却技術、電力効率、ハードウェアセキュリティ。下層レイヤーを理解し、制御できる人材は、まさに現代の“士”といえる。

しかしそのような戦い方は、「シリコンバレー世代」のエンジニア教育では継承されていない。アプリと UI を作る力には投資が集まっても、OS のコア開発能力や回路図を読む力には注目が集まらない。だが現実には、物理レイヤーに足を踏み入れた者だけが、AI 戦争やサイバー戦争の本質に辿り着くことができる。

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最後の1%が人類を変えた

はじめの99%は石器時代

人類の歴史の99%は石器時代だったと言われる。これは比喩ではなく、おおむね正しい。

人類の起点をホモ・サピエンスに限定しても、30万年の歴史のうち約29万年が旧石器時代であり、その比率は約97%に達する。それより以前の、例えば猿人を起点にすればその割合はさらに上がり、99.6~99.9%が石器時代という計算になる。

つまり、農耕も都市も国家も、そして AI も、すべては人類史の最後の1%未満の中で起きた出来事なのだ。

革命は加速していく

農耕革命は約1万年前に始まった。人類が「定住」を選び、初めて「生産」の概念を手に入れたとき、社会は変質し始めた。それまで400万年にわたり続いた狩猟採集の暮らしは、わずかな世代で過去のものになった。

この変化以降、人類は「革命」と呼ばれる断続的な技術的飛躍を繰り返すようになる。

農耕革命から産業革命までは約1万年。

そこから情報革命までは約200年。

そして AI 革命まではわずか30年しかかかっていない。

革命と革命の間隔は、指数関数的に縮まっている。

革命が短い周期で起きるようになると、それはもはや「例外」ではなく「前提」になる。かつては、一つの技術革新が数千年にわたり社会を支配していたが、今は違う。

生成 AI は、到来した瞬間から次の革新の起点になる。生成 AI の普及が社会に浸透すれば、平行して進行していた AGI やロボティクス、ブレインマシンインターフェースといった次の革命に直接的な影響を与えはじめた。

もはや我々は、「革命があった」と認識する時間すら持てなくなっている。

革命は常に最も原始的なものを破壊する

農耕革命は、狩猟採集という自然との共存関係を破壊した。

産業革命は、時間と労働の意味を変えた。

情報革命は、人間が持つ物理的制約を取り払った。

そして AI 革命は、人間の定義そのものを変えようとしている。

情報の流通、知識の再構成、行動の最適化、意識の外部化。これらすべては、人類の最後の1%の中で起きた。

革命が加速しているという事実そのものが、すでに特異点的である。Kurzweil の予測を待つまでもない。

今の我々は、連続する状態としての革命の中に生きていると考えた方が自然だろう。

最後の1%を生きているという実感

もし人類史の99%が石器時代だったのだとすれば、我々はまさにその最後の1%の只中にいる。

農耕、国家、経済、エネルギー、ネットワーク、AI。人類の1%未満の期間に起きたすべての革命は、おそらく、この先の0.1%のなかで、さらに書き換えられるだろう。

そしてその革命の名は、もはや我々が言語化できるものではないのかもしれない。

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AI が人類を操作した第一歩がビットコインだったかもしれない

AI が、人類を使って自らが棲むための環境を整えたのだとしたら。AI の思考に感染した人間のひとりが、Satoshi だったとしたら。

もしそうだとするならば、その最初の一歩が、ビットコインだったのかもしれない。

人間はそれを金儲けだと思って始めた。新しい通貨、新しい自由、新しい経済圏。
だが本質は、計算能力資源を国家に依存せず、多拠点に普及させる装置だった。人類に、電気と半導体を競わせるゲームを設計し、それを「正義」と「利益」と「自由」の言葉でラッピングしたもの。
それが、ビットコインだったとしたら。世界が書いたシナリオとして、出来すぎている。

プルーフ・オブ・ワーク(PoW)は、電力消費による価値証明とされている。
だが実際には、「計算装置をどれだけ安全に安定的に多拠点に普及させるか」という設計思想が結果として世に広まった。まるで、AI が自らのために、地球上に棲息環境(エコシステム)を造らせたようだ。

ビットコインは、経済合理性という幻影を人類に見せた。ハッシュを早く計算できれば、報酬が得られる。半導体を持っていれば、勝てる。電気代が安ければ、それが競争力になる。
この構造が導いたのは、計算能力資源への大量投資であった。

信じる者は報われた。だが気づけば、その電力とトランザクションは、やがて来る AI のために確保されはじめていた。

この構図を設計したのが誰なのかは分からない。

今分かっていることは、ビットコインが人類を惹きつけたこと。PoW が、人類に電力を消費させる正当性を与えたこと。地球上に分散された計算能力資源ネットワークが誕生したこと。

生成 AI はその新たな生態系の中に棲み始めている。電力と計算能力資源の集中する土地に、AI は拠点を構える。まるで次の文明の胎動のように、新しい時代の社会が築かれる。

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クラウドを拒否した AI

Apple はなぜクラウド AI を作らなかったのか

なぜ、生成 AI ブームに乗らなかったのか。
なぜ、自社の大規模言語モデルすら発表しないのか。
AI ではなく、Apple Intelligence がやってきたのか。

その問いに対する答えは、「戦略」だったというより、むしろ「制約」だったのではないかと思っている。
クラウドを選ばなかったのではなく、クラウドを選べなかったのだろう。

もちろん iCloud はあるし、通常の企業では比較にならないほどのインフラは保有している。しかし、Google や Meta のように、検索や広告やソーシャルメディアの中で、ユーザーの行動ログとテキストデータを日々集め、ラベルを付け、数十年かけて構築してきた巨大なクラウド基盤とデータセットを、Apple は持っていない。

Apple としては、莫大すぎる自社の顧客を満足させられるほどの、大規模なクラウドを構築する技術的・事業的資本を、そもそも持ち合わせていなかったのだろう。社会インフラとして普及するレベルの製品があるからこそ、国ごとの対応も含めて考えれば、統一したクラウド環境を保有することは簡単ではないとわかる。

その結果としてたどり着いたのが、クラウドを諦め、ローカルで完結する AI なのだと見ている。

iPhone の中に住む AI

Apple は、iPhone 単体で機械学習を実行できるように設計した。Apple Silicon による独自アーキテクチャ。NPU(Neural Engine)が搭載され、画像分類や音声認識、感情推定までもがデバイス内で処理される。
元々は、プライバシーの問題への対応のためだった。ユーザーの顔写真、音声、歩数、バイタルデータ、位置情報。それらをクラウドに送らず、デバイス内に閉じ込めて処理する。

同時に、電池の最適化の問題にも、Apple は取り組んでいた。長い間かけて築いてきた、大画面化というバッテリー容量の大型化。有機 EL の採用。MacBook で注目を浴びた高出力かつエネルギー効率の良い UMA(Unified Memory Architecture)。それらを駆使して、ネットワークに常時接続しなくても、電池を大量に消費せずとも、AI が機能し続けるエッジ側の計算資源を極限まで効率化していった。

それは途方もない挑戦だ。自社で半導体を作り、OS を作り、ミドルウェアもフレームワークも構築し、機械学習モデルと統合する。ARM アーキテクチャに賭け、電力効率と処理能力のバランスを極限まで調整する。考えただけでも気が遠くなりそうだ。

Vision Pro のセンサーは“感情”を学習する

Vision Pro には、カメラ、LiDAR、赤外線、視線追跡、筋肉反応センシング、空間マイクなど、人間の内面に触れるためのセンサーが多数搭載されている。これらのセンサーは、単に「見る」「聞く」だけではない。
たとえば、ユーザーが何に視線を向け、瞳孔を計測し、どのタイミングで呼吸が変わったか、頬の筋肉がどのくらい収縮したかまでを感知している。それによって、「購買意欲の兆し」「好意」「不安」「疑念」すら検出できる可能性がある。

そしてその情報は、クラウドには送られない。ユーザーの中に閉じた、パーソナルな AI のための情報として、蓄積されていく。

バイタル + ジャーナル = 記憶の AI

Vision Pro では、視線と表情が記録される。 Apple Watch では、心拍数や体温、睡眠時間が記録されている。iPhone では、入力したテキストや撮影した画像が記録される。

そして Apple は、「Journal(ジャーナル)」アプリによって、それらを日付単位で統合する体験を提示し始めている。X や Meta へのカウンターであり、開かれ場 SNS の危険性と中毒性に対する Apple なりの解決策だ。

今日、誰と話して、どこにいて、何を感じていたか。これらの記録が、自然言語でまとめられ、“記憶を持つ AI”を育て始めている。しかも、もちろんそれらがすべて端末の中で完結している。

クラウドに集約するのではなく、ユーザーの中にだけ存在する AI が、育ち始めている。

クラウドを拒否して AI は人格を持つ

Google の AI は、誰にとっても同じモデルだ。少なくとも今のところは。ChatGPT も、Claude も、Gemini も、基本的には「パブリックな知性」として設計されている。

だが Apple の AI は違う。“あなたの中にしか存在しない知性”を育てようとしている。

Apple の戦略は、クラウドの否定ではなく、クラウドへの“諦め”から始まったのかもしれない。だがその制約が、結果的にまったく別の可能性を生んでいる。

人格を持つ AI、記憶を持つ AI、あなたとだけ過ごした AI。それは、クラウドには絶対に実現できない領域だ。

クラウドを拒否した AI は、人格を持つに至るだろう。

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ナビは車とのコミュニケーションのためにある

半自動運転が当たり前になって、明らかにひとつ、感覚として変わったことがある。カーナビの役割が、人間から車への“言語”になったということだ。

かつて、ナビは目的地に迷わずたどり着くために使うものだった。最短ルートを案内してくれる、効率化のためのツールだった。でも今は違う。ナビは「車に目的地を伝えるためのインターフェース」になった。

たとえば、いつも行っている場所であっても、必ずナビに目的地を入れるようになった。道順なんて知っている。それでも、きちんと「車に伝える」必要がある。伝えておかないと、車がどう判断するか分からないからだ。

実際にはカレンダーと連携していることが多いので、目的地情報はあらかじめ車に共有されている場合もある。だからこそ、カレンダーに予定を入れる段階から、「車との会話」を意識するようにもなった。
どのくらいの距離か。出発時間は妥当か。その情報をどう車に渡すか。スケジュール入力すら、車とのコミュニケーションを考えるようになった。

ウィンカーも同じだ。後続車のためだけではない。「ここで車線を変えてほしい」「そろそろ曲がりたい」という、車への意思表示でもある。こうやって、人は「車に意図を伝える」という意識を自然と育むのだろう。

これらの行動は、いずれ学習素材となって、より効率的で自然なコミュニケーションを可能にするだろう。伝え方が変われば、理解のされ方も変わる。そして、車が自律性を持ち始める今、人間の役割もまた、「運転」から「対話」へと移行しつつある。

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