ついに、広告トラッキングを排除した結果が出始めました。短期的な結果というか、過渡期の現状が体験として表れてきました。今後これがどのように変化するのか興味があるので、記録として残しておきます。
先日、Twitter をみていたら、タイムラインに珍しいデザインのブレスレットの広告が出てきました。特徴的なデザインに目が止まり、一瞬、Oura Ring みたいな、センサー搭載の新しい身体情報トラッキングのガジェットが出たのかと期待をしました。
どんな機能があるのだろうと想像しながら、いざクリックしてみようかと考えて動画を見ていたところ、それはカルティエの広告だったのです。普通の、ブランド物のアクセサリーでした。
衝撃すぎて、そのまま iPhone を投げそうになりました。全く広告を出す相手を間違えています。予算をドブに捨てていますね。
これが、広告トラッキング潰しまくった結果です。見事にゴミコンテンツを量産し、それを消費させられる時代に突入しています。
このことに関して言えば、単なるアクセサリーは無駄でしかないと思っている僕にブランド物の装飾品を見せるなど、意味のない事どころか逆効果だったわけです。なんのデータも収集しない装飾品は無駄でしかないと思っている人に広告を見せる方も、見せられた方も、損をしています。
かつてコンテンツは有料課金が当たり前でした。ペイウォールが立ちはだかり、無料で読める物など限られていました。情報を得たければ、雑誌でも本でも新聞でも購入するのが当たり前であり、その延長でオンライン上でもコンテンツは有料でした。
それがキーワード連動型広告モデルやトラッキング広告モデルの発明によって、無料化の時代を迎えていました。我々はプライバシーを犠牲に差し出し、代わりにコンテンツを得る時代を生きていたわけです。無料のおかげで消費な拡大し、YouTube だけでももう想像を絶するコンテンツ量となっています。
そこに問題は2つありました。
ひとつ、個々人がプライバシーを重要視せず、支払いすぎたことです。ほんの1回の大したことのないクリックが積もり積もって、情報が有機的に接続させ、さらには機械学習によって高い精度で予測をされ、結果としてプライバシーは丸裸にされるに至りました。もはや、本人よりも正確に、求めているものを広告プロバイダーが知っています。あるいは求めていないにもかかわらず、欲しくなるものを提示され受け入れる奴隷化が成り立っています。
ふたつ、その広告プロバイダーがあまりにも少数の大手に集約されすぎました。片手ほどの数しかない企業が、全ての情報を接続し、保有しています。その意向で、消費動向はおろか、政治の動向まで、そして思考形態まで、下手すれば影響を受けてしまいます。これを正常と呼べるはずがありません。
これは、我々が求めた便利さの裏返しです。つまり今ゴミのような広告が出てくることは、不便への入り口であり、自由への希望でもあるのです。もう一度、人類はここからやり直せるでしょうか。
その行く末は分かりません。すでに蓄積された情報は、予測を繰り返し、残された僅かな痕跡から新たな思考モデルを形成し、今後も成長していくでしょう。手遅れかもしれません。最悪、ただ不便になっただけの世の中がやってくるかもしれませんし、不便に業を煮やして人々は再び監視社会を受け入れる可能性だってあります。
この先の選択は慎重に考えたいと思います。