ショッキングなことに気付いたのです。僕は、どうやらコンテンツを消費する能力が欠如しているようです。理解力が低いのか、忍耐力が低いのか、視野が狭いのか、何がどう問題なのかまだわかっていませんが、消費できるフォーマットがかなり限られていることを今更ながら知りました。
今度こそはと思って思い切ってマンガを買ってみても、やはり1年とか経っても開いてすらいないという結果が出ました。以前からマンガが苦手だということを言っていたので認識はしていたのです。あまりマンガを読むのが得意ではないということが。でも、もうそろそ諦めて戦略を練り直すときです。
小説に関しては、はるか昔に諦めがついていました。その後も何度かトライしてみても、やっぱり読めないのです。まったく集中できないし、その世界に入り込む感覚は理解できませんでした。作業として情報を摂取することはできても、世界観に共感はないのです。
実際、文字は毎日大量に読んでいます。むしろ読んでいないときは無いのではないかというほどです。でも、小説もマンガも、全く頭に入ってこないし、苦痛と感じてしまいます。
だからもう、生涯漫画を読むことを諦める決意をしました。向かないことに時間を割くのは無駄です。不得意を捨てる基本戦略を思い出して、あえてもうマンガにこだわるのをやめます。
そう思い切ったとき、俯瞰してよく考えたら、アニメだって実は全く観ていないのでは無いかと気づきました。確かに、僕はあらゆるコンテンツの中でアニメにだけに特化して時間をかけている分、触れている作品数は相対的に多いかもしれませんが、同じものを何回も観ていることの方が多いし、絶対数は案外に少ないのです。それに、毎回観るためにはやる気スイッチが入る必要があるから、コンディションが良くて集中できる時にしか観れません。思い起こせば毎晩、Netflix、Amazon Prime、dアニメストアを開いて、最後に YouTube も開いて、全部閉じる作業を繰り返しています。
つまり僕は、コンテンツを消費することがとても苦手で、非効率で、不得意だったのです。確かに、ノイズキャンセリングヘッドフォンはいつも音を消すためだけに使っていて、ほとんどの時間、音楽は聴いていません。人との会話で映画の話になった時も、自分だけ観たことがある作品が圧倒的に少ない気が薄々していました。
それよりも、1人でただ考えていることの方が好きで、思考のノイズにつながるものは嫌います。他の世界観をインプットされることを基本的には嫌っているのです。客観的に考えたらこれって、とても損をしているし、生きにくい生き方だと思います。残念でなりません。
今思えば、授業のフォーマットにも付いていけませんでした。世界中、大きな、そして参加費がバカ高いカンファレンスに行っても、だれかのスピーチを聞いた記憶はありません。常にだれかと話して時間が過ぎます。どちらかといえば、自分が喋っている時間のほうが多いぐらいです。
こんな事に今更気付いてしまいました。根本的な転換の必要性を感じています。
「コンテンツを消費する能力の欠如」への1件の返信
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