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雑記

性質に逆らわない生き方の推奨

生まれ持った性質には、逆らっても仕方がないという話です。
怠惰な生き方をしたいと願っており、その通りになっている人もいるかもしれません。一方、性質としては怠惰であっても、後天的な影響で勤勉を是として生きている人もいます。そういう人は、ギャップに苦しむわけです。

右肩上がりの経済成長を背景とした直近のごく短期間の日本のカルチャーは、勤勉以外を認めない風潮を含んでいました。それは多くの、怠惰な人にとって、生きづらい世の中だったことでしょう。
だけど、そのカルチャーは終わりを迎えつつあります。

最近は FIRE という言葉があると聞きました。初めてその言葉を聞いた時は、なんだこいつらクビになりたいのかと本気で思ったのですが、どうやらもう少しポジティブな意味で発する人は使っていることがわかりました。でもそれは怠惰に生きたい本性を包み隠し、マイルドで映える表現を再開発したに過ぎません。もう少しストレートに、怠惰に生きたいと言ってしまっても問題ないと思っています。

怠惰に生きることを否定されることを恐れて、悪いことをしているとは思われたくなくて、自分でもそう思いたくなくて、SNS での自己評価を上げたくて、怠惰であることに免罪符を与える行為として、FIRE という大層な名前をつけたのだと思います。誰がそう名付け広めたのかは知りませんが、現代の怠惰には隠れ蓑は必要ないのではないでしょうか。

僕は怠惰である人を否定しません。僕自身がきっと、怠惰であるからです。だから個人的には FIRE という考え方やその定義はあまり好きではないとしても、方向性は大いに賛成しています。ここでは個人の好き嫌いは横においておきますが、その言葉が嫌いな理由は結局のところ、呪いと同じで、過去の価値観に縛られすぎていると感じるからです。根底から覆しても、もっと自由で構わないはずです。

今の世の中、正直に言って、我慢をして勤勉に生きることのほうが歪みが大きいと思っています。先に、自由になったものが勝ちという世界になりました。

やりたいことを選択して生きることができるのなら、あるいはやりたいことが明確でなかったとしてもとにかく怠惰に生きたいのであれば、逆説的ではありますが、そのためにまずは勤勉に怠惰を目指すべきではないでしょうか。僕はそう思っています。

怠惰に生きるための努力を積極的にすることに、恥じる必要はありません。勤勉である瞬間が人生には必要なのだとすれば、怠惰を手にするための集中的な労力投下の今こそ、それを活用すべきです。決して、誰かの人生のために、他人のために、使うものではありません。

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