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雑記

認識できる時間

時間の感覚は人それぞれ違う。そんなことは知っていたつもりだった。けれど、自分のそれが一般的な感覚からどれほど外れているかに気づいたのは、わりと最近のことだ。

僕にとって、認識できる時間の境界は3分あたりにある。過去も未来も同じだ。4分前のことと1時間前のことは、体感としてほぼ同じ距離にある。5分後の予定と明日の予定も、同じくらい遠い。どちらの方向にも、3分を超えた瞬間に輪郭が消える。ところが3分以内になると、突然それは手触りのある時間になる。見える、感じる、まだそこにある、あるいはもうすぐ来る。4分と3分のあいだに、認識の崖がある。

これはおそらく、短期記憶とかワーキングメモリとか、そういう話と地続きなのだろう。でも数値で自覚したことの意味は大きい。3分の内側だけが異様にリアルで、その外側はすべて等距離に霞んでいる。この構造がわかると、自分の時間との付き合い方がかなり整理される。

もっと早く知りたかったと思う。自分の時間感覚がどう歪んでいるかを知ることは、自分の認知の形を知ることだ。矯正するためではなく、設計に使うために。

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