Evernote がずっと好きでした。毎日使うメインのノートアプリであり、あらゆる情報はそこに集約していました。IFTTT も駆使して、オンラインでの活動は全て保存していました。以前はソーシャルアプリ各種に分散していた情報も、全てが Evernote に移植され、第二の脳と呼べるほどに自分のバックアップとなっていました。
2008年からプレミアム会員になって、それ以来ずっとあらゆるデバイスで使い続けてきました。Evernote が好きだったからです。完璧に使いやすいというわけではなかったけれど、アプリの外観もその発想も、愛すべきものでした。
PDF をぶちこんでおけば、検索できるところが好きでした。おかげで、全ての名刺は ScanSnap 経由で Evernote にまとめられています。
タグ付けができるところが好きでした。コンテキストに合わせた分類ができるし、ノートブックによる分類と合わせて、GTD を実践するツールでした。タグの整理だけに何時間も費やしても、それは喜びでした。
複数の環境で使えるところが好きでした。iPhone でも iPad でも Mac でもブラウザーでも、同じ体験をできました。
そして何より、思想が好きでした。人生に必要なたったひとつのノートであり、全てを統合する外部脳だと言われたとき、痺れました。それはマンガ ARMS に出てくるサイボーグ、ネクストを彷彿とさせ、バックアップされた記憶により人類が死の概念を克服する未来が見えました。
だから期待をしていました。一生、寄り添うつもりでいました。乗り換えるなど考えたこともありませんでした。他のノートアプリがいくら出てこようとも、iPad の手書きノートアプリが使い易くても、最後は全部 Evernote に任せた構成を考えていました。
いつか、自分のバックアップがここから生まれるかもしれないと期待しましたし、子孫に受け継ぐ前提で書き連ねました。
けど、今の Evernote には失望しています。プロダクトとして、死んだと言わざるを得ません。
今も新しいアップデートが次々と提供されていますので、誰も見向きもしない製品になって落ちぶれたわけではないのでしょう。むしろ活発に開発がされている印象を受けます。でもそれは、期待した方向ではないのです。全く、違うのです。
こんなに遅いノートは、使えません。起動する遅さが、ゾウなのでしょうか。
タグの挙動や UI の構成が、使い慣れた環境とは異なりました。そこが変わってしまうと、根本から利用シナリオが変わってしまいます。
リッチエディターも Markdown も、ツッコミを待っているのかと思うほど、変わるたびに想像してたものと違うことで困惑しています。
勝手な主観的コメントをすれば、使いにくいのです。もう、使えないのです。
きっと世界の誰かのために、今日も頑張って開発が続いているのでしょう。モダンな設計にもなりました。喜ぶ誰かがいるのでしょう。支持されているのでしょう。
でも、僕のためではありませんでした。自分が変わってしまったのか、前提とする社会が変わったのか、あるいは Evernote が進むべき道を見つけたのか、それはわかりません。あくまで主観的に見て、世界観が異なったという事実だけが残されています。
結果的に、何も Ever じゃありませんでした。一時は夢を見せてくれたことに感謝をしています。恨みはありませんし、怒ってもいません。勝手に期待をして、勝手に失望しただけです。でも、それで良いのです。万人に受けるものなどありえないわけです。唯一絶対の人生のノートは、自分ひとりで生み出して、作り上げるしかないのです。共通化、フレームワーク化、プラットフォーム化など、できるはずは無かったのです。それを教えてくれたことに、今は感謝しています。
ありがとう、さようなら、Evernote。
「Evernote は死んだ」への1件の返信
全くもって同意見です。
2011年から長々と使い続けてきて、それこそ自分の持つ紙類のみならず写真管理までも任せるほどに。
途中からアップデートするたびにおかしくなり、使いにくい→使いやすくなった→使いにくい→まだマシになった辺りから遠のきました笑