DAO のコンセプトが登場して以来、組織の未来はそこにあると思っています。古くはオープンソースコミュニティーも有志の善意によって DAO 的統治がなされてきたと思いますが、そこにコードによる法律的な縛りが加えられ、ソフトウェアによる客観的な統治が実現される未来が示されています。当然、コードは法律ではなく、コードで法律を定義することも難しく、完全な解釈のブレの無いルール作りは困難を極めますが、進むべき方向性は正しいと信じています。
厳密な DAO の進むべき未来はそういうことなのですが、一方でもっとゆるい、発展途上の DAO 的な枠組みを感じる事があります。例えばビットコインのコミュニティー、関係者間の繋がりなどです。ビットコインという共通の利害要因を有して、マクロな視点で見ればコア開発者やマイナー、取引所、投資家を含むユーザーが関係性を構築しています。そこにさらに規制当局が加わり、エコシステムが仕上がっています。それを僕は DAO 的な組織と捉えて認識しています。
ビットコインの DAO 的な組織は、規模としてまさに世界的であり、大企業を遥かに超え、小国家にも似た規模になっています。そしてそこに明確なリーダーはおらず、各分野ごとに信頼を集め影響力を持つ個人や組織がいます。あるいは信頼を完全に失ってはいても、ビットコインの大量保有やハッシュパワーの大量保有という形で影響力を持つ個人や組織もいます。その関係性は従来馴染みのあった組織形態とは異なり、株式会社でも民主国家でもティール組織でもない、新たな試みではないでしょうか。
そんなビットコインの DAO 的な空間に、発展途上らしい歪みが定期的に発生します。ビットコインのハードフォークなどを経てある程度鍛えられたとは思うのですが、まだまだ予想外の方向から大きな波がやってきて、その度にビットコインの DAO は揺れ動きます。
最近では、Tesla の Elon Musk の発言が大きな波でした。Elon Musk がビットコインの保有を表明し、Tesla としてのビットコインへの取り組み方を Tesla の株主及びビットコインコミュニティーに示したことで、良くも悪くも価格は乱高下しました。保有すれば価格は上がり、売却すれば下がり、ビットコイン決済を受け付けると言えば上がり、やっぱりやめると言えば下がるわけです。また、環境負荷を理由にビットコインへの懸念を表明すれば、他の会社も巻き込んだ複雑な関係性が生まれました。
注目すべきは、Tesla の業績、株価とビットコイン価格の関係性です。これまではその2つになんの関連も無かったのですが、Elon の発言以降、やはりどこかで、Tesla の業績低下に起因するビットコイン価格の下落というシナリオが頭をよぎります。Tesla は法人としてビットコインを保有しており、すでにそれを本業の業績向上のために売却しています。今後も、Tesla の業績次第では、ビットコインが投げ売られる可能性がありますし、その逆もあり得るわけです。つまりここで、これまでなんの関係性もなかったビットコイン保有者、あるいはビットコインの DAO 的利害関係者が、いつの間にか Tesla とのゆるい利害関係者になっているのです。まるで、Elon がビットコインの CEO かのように感じられます。Tesla の社員でも株主でも Tesla 車オーナーでも無い多くの人たちを巻き込んでいるのです。
ここでも、企業や国家を超越した DAO のダイナミクスを感じます。これからの時代、この流れが加速し洗練されていくことで、より多くの個人や組織が目に見えた利害関係を有するようになるのでしょう。その先に、SDGs の実現などが掲げられていれば、社会は良い方向に進む期待が持てます。
同時に、やはり文字通りの意味で、個人の発言力や発信力は偉大だということもわかります。社会的信用性、影響力、あるいはビットコイン現物保有のような経済的影響力、ハッシュパワー、流動性、どれも偉大な力を持ちますし、逆に言えばそれがなければ影響を持ちえません。現時点の発展途上の DAO においては、力がなければ意思を通せないのです。
これまでマーケティングは悪の力だと思い込んでいました。それはまるでフォアグラを作る器具みたいなものだと思ってきました。非人道的だと蔑んできました。けど、そんなことを言っていてはいまの DAO では沈んでいくだけなのだということもわかりました。
おそらく永遠におわることのない DAO の完成形に向けた成長の現時点のいびつさに適合するためには、何をやるべきかを深く考えさせられています。