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雑記

耳に頼る情報処理

子供の頃から、もしかしたらそうかもしれないと思っていたのですが、どうやら僕は比較的耳が良いことがわかりました。小さい音がよく聞こえるのではなくて、音感が鋭いという方が正確でしょうか。あるいは、音声インプットからの情報処理が比較的スムーズである、という言い方をしたほうが良いかもしれません。

残念ながら音楽家のような良い耳というわけではありませんので、ヘッドフォンやコーデックによる音の違いといわれても、わかりません。何がどう良いものなのかを認識をしていないので、全く理解できません。聞き分ける以前に、良い音の定義も知らないのでしょうね。
僕の場合は、ただ相対的に、音がどう違うのかを捉えることが得意で、それを脳内で処理する際の負荷が低いだけなのだと思っています。耳で処理するセンサーの解像度が高いイメージです。

小学生時代から、音楽の授業や音楽系の習い事の時、演奏された音(音階)を言い当てるという課題が得意でした。耳コピやモノマネも得意でした。英語での会話についても、特別なことをしたわけではありませんが、非常にスムーズに聞き取りと発音ができるようになり、習得できたと思います。
これらの特技に共通して求められることは、正確に音を聞き分けられる能力です。また、正確に処理ができる音の幅、周波数のレンジが広いことも重要ではないかと思っています。

数年前、本格的な知能検査(IQ 検査)や心理検査を受けました。そこで結果的にわかったことなのですが、僕には情報を耳から処理する傾向がありました。
例えば、短期的な記憶について、言葉や数字の羅列があれば、それをメロディーのように聞くことで、記憶しようと努めます。その記憶が消えないうちであれば、同じメロディーを繰り返すだけで入れた情報を取り出すことができるわけです。初めて聞いた歌でも、短い単位ですぐにオウム返しすれば歌えるのと仕組みは同じです。既存の記憶との結びつけや関連性を使わないランダムな情報であっても、それが短ければ、一時的な音の連なりとして処理されていたのです。

ただし、短期記憶そのものはそれほど強くありませんでした。耳が音を識別する際の精度が高いというだけで、大量の情報を処理することはできないわけです。オウム返しできる今聞いたばかりの歌でも、メロディーと歌詞を逆にして再生することは誰にとっても非常に難しい事だと思います。耳で処理をするけれども短期記憶がそれほど強くはないというのは、そんな状態です。
というわけで、僕の場合は耳から入った情報はわりとすぐにオーバーフローします。単位が大きいと、すぐにすべてが吹き飛びます。話しかけられた情報がほとんど頭に入らないのは、このあたりに原因があります。

結果として、耳から入った情報だけで処理をする会話という行為が、非常に苦手になっているのです。自分の言語処理構造と違うと、すぐに詰まりはじめます。処理を高速化するために、余計な装飾を削除しながら処理するため、感情的な起伏を排除した簡潔な要点のみが頭に届くことになります。
文字で届けられれば、それを音として再生し、自分の処理構造に編集して理解し、保存することが叶います。耳だけでそれをやるのは、弱い短期記憶のバッファの中では限界があるのです。

思えば昔から、講演や授業などが軒並み不得意でした。大きなイベントに出向いていっても、そこで人の話を聞いたことはありません。たいてい、そこに集まった人と会っているだけでした。誰かが壇上で話しているのを聞くことが出来ないのです。
みんながそうだとずっとおもっていたので、イベントなどで登壇して人前でしゃべるのがいやでした。特に授業のような形態で話すことが嫌でした。自分がそうであるように、誰もそんな事を期待していないと思っていましたし、理解などされないともおもっていたからです。でも、意外と、人が話して説明をしていると理解できるという人がたくさんいることを最近になって知りました。

一方で、音声読み上げ機能をつかった耳での読書は得意です。Podcast は昔から好きで、ずっと聞き続けています。最近は、長時間枠の YouTube コンテンツも、大量に消費しています。どれも基本は、そのソフトウェアが許せば4倍速、最低限2倍速で聞いています。後で読む系の記事も、Pocket の読み上げ機能で聞いています。

講演や授業が無理で、でも Podcast や本の読み上げは可能であるこの違いは何なのか考えました。まず第一に、自由に速度を調整できることです。そして、飛ばしたり、戻したり、一旦止めて整理したり他の情報を参照したりできることが大きいです。要するに、自分が理解できる構造に編集する余裕が持てることが大切なのでしょう。
また、座って聞くだけというのもだめなようです。歩いているとか、無意識にできるようなお決まりの作業をしている時に、耳だけを使って情報を処理することが得意なのであって、全身全霊で座って授業を受けるというのは無理なのでしょう。これは耳の得意不得意とは少し違います。ADHD 的な意味での、じっとしていられない問題です。

僕は生活の大半の行動を習慣化して自動処理化しているので、仕事や考え事をしている時以外は、自動運転状態にしています。そんなとき、音声コンテンツは最良のインプットになるのです。

「耳に頼る情報処理」への2件の返信

[…] いわゆる速読というものの中でも、フォトリーディングみたいに、写真のように見ていくやつは全くできる気がしないので、そういう読み方はしていません。子供の頃は読書嫌いだったこともあり読むのがとても遅かったのですが、いくつかの読書術の本や学習術、記憶術の本を読んで衝撃を受けたことをきっかけに、今はかなり早く読むようになっています。ただ、どうしても、自分の場合は脳の特性上、視覚からのインプットでは情報処理が遅いのです。丁寧に文字を読み始めると、スローモーションになります。この詳細はまた機会があれば説明をしようと思いますが、脳には(個人には)それぞれ特性があり、処理する情報の内容や性質に得意不得意があるわけです。自分の場合は、圧倒的に、音声の処理に優れいているため、耳からの情報の方が処理しやすいというわけです。 […]

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