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雑記

本能のままにゴシップを無視できない人類は幸福か

サピエンス全史の中でも取り上げられていましたが、ホモ・サピエンスの言語能力は、噂話をするために確立されたという説があります。

それは、社会的な動物である我々にとって、早期に悪い情報を仕入れ、拡散し、精査し、社会を守るために必要な機能だったというわけです。この世界に存在しないものすら信じ、共有し、語り継ぐことができる人類が持つ言語能力は、噂話ができる能力から発展し、やがては神話を用いて集団を統率することに役立ち、その結果として進化が加速したという説です。

インターネットの普及以来、かつての印刷媒体やテレビ媒体で起こった爆発的な情報の拡散は、次元を超えた速度に達しています。SNS を中心とした現在の情報過多の時代においては、発信することの敷居は極端に低下しており、今や内容を見て判断せずとも、いいねや RT で簡単に拡散ができてしまうようになりました。

人類の性質を考えれば、それは当然のことなのでしょう。ほとんど本能的な行動をしているのだと理解できます。
しかしそれでいいのでしょうか。本能的に情報を処理し、取捨選択もできぬまま、空腹に飢えた獣のように、全く自分の人生にとってどうでも良いゴシップネタに飛びついて、あれこれ調べたり意見したり、ましてや誰かを攻撃したりして、それで幸せは手に入るのでしょうか。

本能的行動なので、快楽は手に入るでしょうが、一時の快楽として、半自動的に行動している人が大半なのだろうと考えると、果たしてそんな快楽という報酬を得る神経回路を強化してしまって、何の得があるのだろうかと考えてしまいます。その本能のバグに付け入って巧妙に商売をする人たちは、なかなかうまいことやっているなと、評価はすべきだと思います。良いか悪いかは別問題ですが。

そんなわけで、好きでゴシップに飛びついている人を止める気はないのですが、本来好きでもなんでもないはずのに、それが本能とも知らずに反応している人が大半なのかと思うと、果たして無視することは良いことなのかと自問自答せずにはいられないのです。

本能のままに貪り食うことを良しとしない結果、例えばダイエットに勤しむ人がいるように、もう少し情報についても取捨選択をし、能動的に脳の活動を有効に使うことをみんなが意識できるようなインターネットであれば、もう少し有益なのにと個人的には思っています。

自分に関しては、SNS にしてもニュースサイトにしても、ゴシップを目にする頻度をまず下げるために、現れてもクリックしないことで、アルゴリズムによって最適化されることを避けています。そしてそもそも、そういうものに反応して誰かが儲かるというサイクルに加担しないように、ゴシップネタが掲載される媒体には近づかないようにしています。これは本能の制御なので、非常にエネルギーを消費します。だから、広告のフィルタリングや SNS のフィルターなど、可能な限り自動化するべき事です。

ちなみにそうすると、結果的に日本のニュースサイトなどは全滅するわけですが、それでいいと思っています。人生は有限です、少なくとも今日の段階においては。

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