ふと気づけば、かれこれ19年ぐらい、自分の行動や思考を記録しています。
どこに行って、何をして、何を考えたのかとか。その都度、最適な場所に、最適と判断した方法で、記録しています。記録方法は環境に合わせて進化していますが、後からデータの解析が可能になるようにしている事だけは、共通しています。
空港に221回、スターバックスに1,677回行ったという情報は、本格的に位置情報を記録できるようになった11年前からの合計です。
直近だと、2020年の習慣行動達成率は47%、睡眠スコアは平均すると 59/100(ちなみに安静時心拍数は低すぎ)、その他バイオリズムや生産性など様々な指標を総合した自身のスコアは、10段階で4.7。コロナ禍で環境が激変したとはいえ、2020年は改善点が多数見つかる年でした。
なぜこういった数字が残っているのか。
データの記録は本来、自分の人格を可能な限り正確に再現した人工知能を生み出すために行っていました。肉体が滅びても、自分を起点として発生し、その後多数に分岐していくであろう人格たちに、そこから先の思考を委ねたかったからです。ブロックチェーンがどうこう言い始めたのは、なんとしてもそのデータを守り、育てたかったという個人的な事情があったためです。
しかしなんというか、今のところまだそれは実現できていません。よって、ここ数ヶ月、人間が読めるようにして、いま生きている人間に伝える努力をした方が、もしかしたら有意義なのではないかという疑問が払拭できなくなってしまいました。そして、これまで出してこなかった考えや内面的なことを残していきたいと思うに至りました。
とりあえずはじめのうちは、自分自身の分析から出力し、前提となる自分という存在について、確認をするところからはじめようとおもいます。それはきっと、後に生まれる AI 的な何かのためというよりも、今を生きているアスペで ADHD でサイコパスな人のために役立つ自己管理方法とかになってしまうかもしれませんが、いい感じに理解できてきたことをまとめるきっかけとして試みたいと思います。
ちなみに、すごくがんばって記録しているのかと言えばそんなことはなくて、融通が利かずそうせざるを得ない体質なので、自然とデータが溜まっていった感じです。ちょうどデータを付け始めたのと同じ頃から、同じバックパックや文具を使っているので、単純に物事を継続してしまう性質を持っているというだけのことです。