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雑記

忘れられた資源をインフラに変える方法

社会には、すでに使われなくなった資源がある。かつては価値があったが、構造の変化とともに忘れ去られ、残され、手つかずのまま置かれているものたち。たとえば、天災や人口減少によって使われなくなった広大な土地。稼働を止めた電力インフラ。使われなくなった通信基地局。都市から遠く離れた空き地と、もう誰も立ち寄らないトンネル。こうしたものは、産業構造の変化によって取り残され、忘れられた資源だ。

だが、構造が再び変われば、それはもう一度意味を持つ。とくに計算資源の時代において、これらの物理的インフラは「計算の土台」として機能し得る。電力がある。熱を逃がす土地がある。騒音に対する許容度が高い環境がある。地価が安く、自治体と協調しやすい。冷却に使える水源や気候条件がある。見方を変えれば、これらは「理想的なインフラ」だったのかもしれない。価値がないとされていたのではなく、まだ再定義されていなかっただけだ。

都市の過疎化が進み、地方の人口が減るたびに、その地域の価値が下がると考えてしまうのは、人間中心の発想だと思っている。それは、実に傲慢な考え方だ。AI や IoT にとっては、人間がいるかどうかは必ずしも本質ではない。データが取れるか、電力があるか、インターネットに接続できるか。彼らにとっての最適環境は、必ずしも人が集まる都市ではない。むしろ、干渉が少なく、電力と土地に余裕があり、ゼロから再設計できる社会インフラが多い過疎地は、AI や IoT にとっての“自然”なのではないかと思っている。人の手が入らない場所に自然の草花が育つように、人の気配がまばらな土地にこそ、これからの情報インフラは根を張るのだ。

実際、金融の世界ではかつてマンハッタンが、そしてその後にはシンガポールが、制度や税制、地政学的な利便性を背景に国際ハブとなった。同じように、物理的な「地の利」が新しい意味を持つなら、日本の地方にはまだチャンスがある。特に、日本は法治国家であり、電力インフラが安定しており、安全性も高い。人間の生活だけで考えれば資源は乏しいかもしれないが、再生可能エネルギーの地産地消を前提に日本中を見渡せば、これから再定義されるインフラにとって、日本の過疎地こそ理想的な基盤になり得る。

現代の計算インフラは、必ずしも都市部に集中する必要がない。むしろ、都市が抱える電力不足・土地不足・冷却問題を回避するために、周縁へ、地方へと広がっていく。この流れが進めば、「使われていないから価値がない」という評価軸は反転する。「誰も使っていないからこそ、意味がある」場所が、計算資源のベースとして再発見されるようになる。

再定義されるのは、資源だけではない。地域もまた、評価の物差しを変えることで、役割を取り戻すことができる。忘れられた資源を、もう一度資産に変える。そのとき生まれるのは、ただの施設や装置ではない。社会構造の、静かなアップデートだ。

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