これまで、インバウンドとは「観光」の文脈で語られてきた。国外から人が来る。モノが売れる。文化が伝わる。インバウンドとは、ヒト・モノ・カネを受け入れる仕組みのことだった。
だがいま、新しいタイプのインバウンドが立ち上がろうとしている。人ではなく、データが来る。つまり、「情報処理」が国境を越えて“日本に来る”という構造が生まれつつある。
たとえば、世界中のスタートアップや研究機関が、AI モデルの訓練や推論を、あえて日本国内の計算能力資源の上で行う。理由は、法制度が安定していて、電力が安定していて、地域の社会インフラが安全で、そしてなにより“安心して稼働できる”からだ。不正な手段を使っても情報が流出しない制度的堅牢性もある。
そのときに起きているのは、単なる外注や委託ではない。“来る”のは、人ではなく、計算であり、処理であり、情報そのものであり、インフラの利用である。観光ではなく、日本の物理インフラが利用される。
これは、デジタルインバウンドと呼ぶべき現象だと思っている。
その構造の中で、日本が持つ最大の価値は、「土台としての信頼性」だ。計算性能や電力の安定性、法制度だけではない。データが勝手に抜かれないという安心感。予測不能な法制度変更がないという安定感。何かが起きたときに対処してくれるという信頼感。災害に強い実績。
そういった非定量のレイヤーが、日本という空間の価値をつくりはじめている。
かつて金融の世界では、マンハッタンや香港、そしてシンガポールがそうだった。制度と信頼性、法治と可視性を背景に、情報と資本が集まる「地理」が成立した。人が集まるから価値があるのではなく、制度が支えることで、人も情報も自然と集まってきた。
もはや、世界中で「人が増える都市」ばかりが価値を持つわけではない。AI は人の集まりを必要としないし、IoT は人の有無に関係なく機能する。むしろ人がいない場所こそ、IoT の主要な生息領域になるだろう。
土地があり、電力があって、社会が落ち着いている場所に、AI も IoT も“住みに来る”。
これまで、「人がいないから価値がない」とされていた場所に、「人がいないからこそ価値がある」という発想が立ち上がる。
AI にとって心地よい土地、データにとって優しい制度、電力にとって効率的な距離。
そうした要素の総体として、日本という場所が再評価される流れが、確実に始まっている。
