気づけば、世界は「META」に満ちている。
金融もインターネットも、情報も、経済も、社会のあらゆる構造が、かつてよりもはるかに抽象度の高いレイヤーへと持ち上げられている。
たとえばインターネットの世界。ある商品があり、その商品を紹介するウェブサイトがある。それを集めて比較するためのポータルサイトがあり、そのポータルをまた横断検索するメタ検索サイトがある。そのメタ検索サイトの広告が検索結果に表示され、クリックして訪れた先のページにも、同じメタ検索の広告が出ている。
構造が折り重なり、循環し、時には自己参照すらはじめている。
このように密度が濃くなった情報の世界では、どこまでが実質でどこからが参照なのかが、直感では判別できなくなってくる。視点を引いて冷静に俯瞰しなければ、何が正しい情報か、何が起点で何が表層なのかがわからなくなる。
金融の世界でも同じ現象が起きている。サブプライムローンの崩壊は、その象徴的な事例だった。住宅ローンが商品となり、それが金融商品に再パッケージされ、それが複数まとめられて CDO になり、その CDO をベースにさらに派生した商品が作られ、それらに信用格付けがつき、最終的には投資の「商品」になっていた。
誰もが抽象的な「商品」を回していたが、もとの実態(物件、契約者、地域経済)は見えなくなっていた。
こうしたメタ化の流れは、今後さらに加速するだろう。あらゆる分野で、一次情報から距離のある構造体が量産される。メタ構造の上にさらにメタ構造を重ねる者が現れ、それを支配することで一時的な優位を得ようとする。
競争は上位レイヤーで起き、GDP は成長するように見えるかもしれない。だが、その「成長」が何を意味しているのか、本当に価値を生んでいるのか、それを測る方法は徐々に失われていく。
この状況下で、見直されるべきは「低レイヤー」だと思っている。一見すると、もっとも搾取されやすく、力のない立場に見える低層レイヤー。だが、すべてのメタ構造はそこに依存している。メタ化が進めば進むほど、土台を制することの意味が大きくなる。
電力を供給できる者。物理的にデータを蓄積できる者。土地を所有し、資源にアクセスできる者。
それらの「実体」が、メタの上位者たちを支える最後の重力として機能しはじめる。メタ構造を動かすには、必ず現実のエネルギーが必要になる。そしてそのエネルギーは、低レイヤーにある。
だから、未来において本当に強いのは、表層を握る者ではなく、基盤を抑えている者だ。メタ化の果てに、物理は再び力を持ち始める。
