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雑記

Web3 で世の中は変わるのかと聞かれた

かつて、銀行が「お金」を牛耳ることを批判したサトシナカモトが、ビットコインを開発しました。その文脈を発展させた技術者達が、「情報」を牛耳る独占・寡占企業に対抗するために、暗号技術による情報インフラの分散化を試みているのが Web3 だと認識しています。当然その流れのなかで、人々が持つ「価値」も分散化をはじめました。

インターネットが誕生して、世の中は明らかに変わりました。その中にいる人の視点では変化を測定し難いかもしれませんが、客観的にこの20〜30年を振り返れば変化は明らかではないでしょうか。

そんなインターネットは、中間搾取を減らし利便性を高めました。弊害として、FAANG(GAFA)のような巨人を生み出しました。利便性と引き換えに人類が差し出した情報は、これまでの比ではない富の集約も引き起こしています。もうこれ以上、情報を奪われないために、よりフェアで持続的な社会を実現するために、インターネットそのものが革命的な変化を始めているのです。それを Web3 と呼ぶ人がいるのが現在地です。

Web3 への批判として、結局新しい流れを推奨する資産家に、形を変えて富が集約するだけとも言われています。確かにその通りで、いま資産家として、大企業として、Web3 に賭けると成功が約束されてる側面があります。インターネットバブルに乗るのと同じ構造です。Web3 の本質的挑戦は技術面でのイノベーションではありますが、基幹技術となるブロックチェーンは金融社会との相性が良すぎるため、良くも悪くも自由資本主義的な価値観と早期に融合を果たしてしまいます。

そうは言っても、儲かるからこそ参入が相次ぎ発展が加速するのは、これまでに見てきた通りです。メタバースも NFT も、この技術トレンドによってようやく普及の段階を目指すことができるわけで、むしろ短期的に見た時には、歓迎する状態ではないかとも捉えています。

つまり回答としては、変わるということ。それも劇的に変わるということ。

インターネットの誕生やスマートフォンの誕生のように、きっとそれは後から振り返らないとわからないのだろうけど、確実に変化がやってきたと実感する毎日です。だからこそ Web3 という用語が乱発され概念の上書きによるトレンドの乗っ取りが多発しているとも見ていますので、自分自身は冷静でありたいと思っています。

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