無駄な努力というか、誰の救いにもならないことかもしれないのですが、そもそも食事に費用をかけ過ぎる必要は無いのではと、常々思っています。
別に、ケチをしたいわけではありません。食費を削りたいと思っているわけでもありません。それに、日本の食事は値段が不当に安すぎるのではないかとも思っています。だから、これは単に個人的な実験的思考として、あるいは修行として、取り組んでみてその後の感覚を知りたいという欲求で思いついています。
元々、僕は食に興味がありません。なんでも美味しいという方が適切かもしれません。まずい食べ物なんてそうないでしょう。ほぼ全て美味しいです。逆に、ほぼ全て同じ程度に、美味しいです。まずいものが無いように、突き抜けて美味しいものというものもありません。どれほど高級な料理を食べても、珍しいお酒を飲んでも、コーラとハンバーガーと比較して何が優位なのかは理解できません。
だから正直、高級料理みたいなものは食べたいと思ったことはありません。美味しいので当然嬉しいし食べたいか食べたくないかと言われれば食べたいヨリなのですが、ヨリという程度です。何かイベントが無い限り、自ら進んで高級店には行きません。そこは明確に、無駄な費用だと認識しています。たまにふらっと行くことはあるのですが、そこで長時間拘束されるのもまた嫌だし、美味しいとか美しいといった報酬と、それに対する費用のバランスが悪過ぎると思っています。
それでもちゃんとした店に行くとすれば、理由は食事には無く、きちんとした個室の空間であったり、同席する相手に失礼のない整ったおもてなしの体験が理由です。
まぁつまりは、そのような生活習慣には馴染めない、楽しめない性格だということです。
そんな感覚なのにも関わらず、ボケっとしていたら毎月結構な食費が発生していることがずっと気になっていました。原因は、とにかく食に時間をかけないことだと自分でも気づいています。美味しいものを食べようと試行錯誤するからコストが上がるのではなく、手間をかけないために、手早く済ませられる Uber Eats であったり、外食であったりに頼りすぎているのです。
僕は基本、1日1食しか食べないですが、それでもちょっと全体の中で食費の比率が高いと自分では思っています。おそらく他の人と比較すれば、すでに相当に低い水準なのかもしれませんが、自分で思っている食に対する価値観が、全力で高過ぎると否定しています。
そこで今後、実験的に試みたいことがあります。
まず、外で食事をする時にお酒を飲まないこと。健康面でもプラスですね。それから、無計画にそれなりのレストランとかに行かないこと。ふらりと立ち寄ったりはもうしません。予約をしないと行かない事にします。1日1食を貫き、余計な食事はしないこと。食べる時は健康に害があるものは避けつつも、基本的には早く食べられて安いものを選択すること。労力は割きたくないので、自炊などは基本的にはしません。
さて、これによって生活の質、幸福度は下がるのか上がるのか、気になっています。
「食事費を下げる努力をしてみようか」への2件の返信
最近どうされているかな?と思ってブログを見つけました。肉食獣が倒した獲物の内蔵から食べるとおり、動物はDNAレベルで、栄養価の高い食べ物について「美味しい」と感じるようにできていると思っています。また、「美味しい」と感じる食べ物ほど、早く腐敗するため、価格が割高であるように思います。支払った代金の多くが、原材料費と調理人の人件費(特に多人数の場合)に費やされる料理は、「美味しい」と感じることが多いのでないかと思います。その真逆が、栄養価の割に安価な食べ物を取り揃えているコンビニです。コンビニ中心の食生活を続けると、健康を損ねることが多い理屈だと思います。
ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
まんまと策略にハマり、脳が美味しいと感じる科学的な成分に満たされております。
一時はアメリカのスタートアップが開発した完全栄養ドリンクを試していたのですが、味がダメで挫折しました。
今後は健康面も考えてみるのが課題です。