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雑記

人に任せる事の難しさ

人にうまく頼ることができると言うのは、素晴らしい能力だと思います。その能力を持っているか持っていないかで、長期的に得られる成果は劇的に変わるし、本人やその周囲の人の幸福度も変わってきます。きちんとお互いに役割を持ち、共存しあえる関係を作れるのだから、生産性以上に幸福度の観点から、優れています。

逆に僕のようにうまく人と関われなかったり、コラボレーションをすること自体が苦手な人にとっては、何でもかんでも自分でやることの方がはるかに簡単で、結果的により一層手の届く範囲を狭める結果に陥りがちです。
何か成果を得るためだけと割り切って考えればそれも悪くは無い選択肢だと思います。しかしながら、社会的な動物としての人間の性質を前提に考えれば、自分自身もその周囲の人も幸せにはできない生き方と言わざるを得ません。

だからといって簡単に性質が切り替えられるわけもなく、多くの人が自分の特性の中でもがき苦しんでいくのが人生です。残念ながら人とうまくかかわったり、人に何かをお願いすることがうまくできない性質に仕上がってしまった人にとっては、過酷な現状が待ち受けています。

非社交的だから人とかかわったり人にお願いをすることができないと言うだけのパターンもあると思いますが、加えて間違った完璧主義や、極度なこだわりを持ってしまうと、八方塞がりに陥ります。その場合自分1人でやり遂げることに異常な快感を得ることにもなりますので、状況は悪化していく一方です。

学校や会社など、強制的に社会性を押し付け育む場と言うのは、そのような人に救いのきっかけを与えると言う点においては悪くは無いのかもしれません。いくらかの人は、それによって処世術を身に付けることができるでしょうし、逆に早い段階から自分1人で生きていく方法を考えさせるかもしれません。

既存の出来上がったチームに入り、役割を与えられ、仲間に支えられ、徐々に外部とのコラボレーション能力を活性化していく会社組織と言う仕組みは、人類の本来の性質に合っているかはさておき、やはりよくできていると今更ながらに思います。
マネジメント能力の高い人と仕事をすることで、自らは他社とのコラボレーションができない人は救われるわけです。

最近、自らが定めたポリシーやルールが呪いのように自分自身を縛っているような感覚に陥ることがあります。それはすなわち、行動ができない状態を誘発してしまい、状況が悪化し何もできなくなってしまうことを意味します。全くよろしくありません。加えてマネジメント能力のない僕のようなタイプの人にとっては、レバレッジがとにかく効かないため、競争の場面に相対的に弱くなることにつながります。
どうすればそのような状況を脱却し、環境を切り替えられるのか考えています。

1つ最近気づいた事は、より大きな理想が必要だと言うことです。目先の凝り固まったルールや積み上げられてアイデンティティーとなってしまったポリシーを上書きし、より大きな成果を得るために苦痛を伴うコラボレーションに自らを送り出すためには、現状からは想像できないほどの大きな理想を掲げ、その実現を真剣に考えることが必要です。

それがうまくいくかどうかはまだ結果が出たわけではありませんが、少し経営と言うものについてわかったような気がしています。この感覚もきっとそのうち浅はかであったと気づくのでしょうが、そこは生涯学び続ける必要があるのだと納得するようにします。

DAO 時代の組織戦略を考える上で、この感覚を理解する事は欠かせないと思っているので、引き続き向き合っていく課題にします。

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