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雑記

幸福と宗教

サピエンス全史の内容を振り返ると、人類の繁栄の鍵は、妄想を信じることができる能力だと要約することができます。そして、我々が感じている幸せもまた、妄想だということになります。幸せという妄想を人類全体が信じ、成り立っているのが今の社会です。

幸福とは、脳の化学変化です。文明が発達しても、人体自体は大きく進化していませんので、幸福の持続時間や強度は太古から変わらないと言われています。要は、物質的に豊かになったからと言って、幸せになるとは限らないということです。裏を返せば、もので幸せは得られないとも言えてしまいます。

社会の成り立ちやそういった人体にとっての幸福の定義を考えるに、生きる意味を見出した者のみが、真の幸福を得たと言えるのではないでしょうか。個人の生きる意味と、社会(所属するコミュニティー)の存在意義が一致する状態が、幸福だと僕は定義しています。

人が、共有する幻想を信じることで人として発展してきた展開を考えれば、やはり信仰は必須の要素であると考えられます。今も形を変え、結局のところ人々は何かを強く信仰しています。現在の宗教は、資本主義として形を変えて、満足感という幸福を提供しています。それを得るためには、消費というプラクティスが求められる形をとっています。

これから先もこの資本主義の幸福を実現し続けるには、経済成長が必要となります。しかし、資源は無限にあるわけではありません。どこかで方針を軌道修正しなければならず、事実として、今の宗教は構造上破綻に向かっています。
過去の人類は、限界を迎えたときにはいつもでもその問題を解決してきました。今回もまた、イノベーションが日々起こって、限界を突破する可能性を感じさせてくれています。太陽光からのエネルギー調達も、まだまだ本当に到達できる領域に達していないだけで、これからの発展の余地を考えれば、いつまでもこの幻想が続く可能性も否定できません。ただしそれができなければ、数十年後に破綻します。

人類がこれからも幸福を得られるようにするためには、2つのアプローチが存在すると思っています。1つ目は、イノベーションによって資本主義的という宗教を延命することです。そして2つ目は、宗教の思想にパラダイムシフトを起こすことです。

延命に期待するのも良いですが、そろそろ根本的な方針の転換についても考えておいて損はありません。生きる意味(=幸福)は、人類の資本主義からの解放と、ポスト資本主義への改宗によって見いだせるのではないでしょうか。自分が生きる意味と、社会の生きる意味が一致する幸福を感じるためにも、その難しい課題に挑み続けたいと思う毎日です。

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