ビジネス=戦争、だという古めかしい前時代的な、しかしながらいま現在も多くの大企業が採用しているコンセプトを改めて考えてみました。ビジネスと戦争が同じ構造なのであれば、共通点に注視することで多元的な理解が広まります。
まずは、戦争の目的について考えてみます。
戦争の目的は、領土を侵攻して国土を拡大し、生産性を向上することで競争力を高め、自国の継続的発展を達成することにあります。結果として生存競争に勝ち抜き、自分たちの利益を最大化することができます。国家の支配者からすれば、国民の生存確率と幸福度を上げることが、その支配者の安定を強化することにつながりますし、自国が持続的に発展することによって初めてその地位を確固たるものにできます。
必ずしもすべてがこの通りだとは言い切れませんが、多くの場合、そのような生存欲求の上に殺戮行為を正当化してきました。国家というレベルでは民主化も進み、国際化の中で特定の国の独走を許さない取り組みが出来上がってきました。かつてのような欲望むき出しの戦争は難しくなり、むしろ得たい結果からすれば逆効果になります。また、国家が要求するものも多様化しました。主体である国家の定義も多様化しており、特定の王様とか支配者などほとんど限定はされておらず、複数の意図が複雑に絡み合うことで主体を形成しています。つまりは得ようとするものについても、現代においては大変複雑になっています。
今ではそう見ることもない野蛮な戦争の基本構造ですが、企業単位ではまだまだ現役であり、そんな野蛮な視点が有効になっているのではないかと個人的には思っています。
それを考えるために、戦争とビジネスに登場するアナロジーを順に対比させ、整理します。 国民に該当するのは、顧客です。領土は、市場シェアです。敵は、競合企業です。武器は、商品です。
戦争の定義と用語のアナロジーを照らし合わせながらビジネスの目的を整理すると次のようになります。
ビジネスの目的は、市場シェアを拡大し、利益率を向上することで競争力を高め、会社の継続的発展を達成することにあります。結果として生存競争に勝ち、自分たちの利益を最大化することができます。株主及びその信任を受ける経営陣からすれば、顧客の利益と満足度を上げることが、会社経営の安定を強化することにつながりますし、会社が持続的に発展することによって初めてその安定的な収益を確固たるものにできます。
抽象化されていますが、やっていることは似たような事であるとわかります。国家間の争いがどのように発展したかの歴史を紐解けば、企業間の争いの行き着く先にある可能性も、想像できるのではないでしょうか。