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雑記

呪いと祝福は同じ

呪いと祝福は似たようなものだと思います。だから、どちらの意図であれ、言葉をかけるのには注意が必要なのではないかと考えるわけです。

あなたはきっとこんな大人になりますね、という祝福があったとして、それを当の本人に伝えたならば、その先の人生を左右する言葉になる可能性があります。良いか悪いかを断じることは一概にできませんが、ただ単純な事実として、その言葉が意識に入り込み、植え付けられることになります。

呪いというのは、かけられた側がそれを認識した時に効果が発動します。つまり、思い込みの効果です。偽薬を飲んでも体調が良くなるのと同じ仕組みです。催眠術とはつまり自己催眠であり、当人に思い込ませることが必須の過程なのです。

振り返れば自分自身、数多くの言葉に影響を受けてきたと思います。それが良かったか悪かったかなど今決めることはできないのですが、どちらの結果に繋がったものも思い当たります。
占いや予言の類は信じていませんし、ましてや言霊があってどうこうというスピリチュアルな事を言うつもりもありません。それでも、潜在意識に刷り込まれた言葉の印象は強烈で、人生を左右することもあると思っています。

人は心を許した人や、心理的距離が近しい人の言葉からの影響を特に受けますので、全くの見ず知らずの人や初対面の人に何か言葉をかけられたとしても、呪いにも祝福にもつながらないと思います。しかし、蓄積された点と点の言葉は、ある程度の数になった時、面となって意識に入り込みます。それはやがて当人のアイデンティティーを形成する素材となり、思考に入り込む余地を持ちます。

SNS での誹謗中傷が良くないのは当然ですが、なぜ悲劇が起こり続けるのかを考えれば、そこにもこの構図が見えます。呪う側のコストが極端に低く、対面しない分リスクも少ないわけです。一方で呪われた側からすれば、何度も文字を目にする事で効果が強化され持続します。悲劇的です。

応用すれば、祝福にも適したメディアと認識可能です。祝福する側のコストが極端に低く、対面しない分気軽に想いを届けられます。受け取る側は、何度も噛み締めることができるし、保管することもできます。
しかしある時祝福が呪いに変わることもあるので、使い方は慎重に考えた方が無難ではあります。

人に言葉をかける時、その人のアイデンティティーを傷つけたり、更新するようなことを不用意に発してしまうことがあるので、僕は慎重に言葉を選ぶ人になりたいと、日々考え精進しています。

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