NFT の市場規模はうなぎのぼりで、DeFi と共に基盤であるブロックチェーンの価値を向上させるレベルで拡大を続けています。
具体的には、Ethereum が重要性をさらに増す方向性に力が働いており、これが待ち望まれていたキラーアプリ、キラーコンテンツの一部になると期待されています。
そんな NFT のトークン売買市場に流れている資金量や売買のトランザクションの数、あるいは保有されている数はどのような水準に達しているのだろうと、調べていて気づいたことがあります。それが、今の NFT に圧倒的に足りないものです。
答えを言えば、萌えという概念です。
別にゴテゴテの萌えコンテンツが必要と言いたいわけではなく、ゆるキャラやアニメ要素なども含めた幅広い萌えが要素として全く入っていないのです。どれだけ萌え不足かと言えば、スターウォーズやマーベル映画のレベルです。ゴリゴリにかっこいいかもしれませんが、まぁどうぞ頑張ってくださいとしか思えないあの感じです。
異世界感というか、文化的に明確な境目が見えます。この先の展開を危惧します。そんなことで、NFT アートは、市場規模をこれ以上拡大していけるのでしょうか。単一の文化圏しが存在しないように見えるものが、どこまで支持を得られるのでしょう。少なくとも僕のいる世界とは、文化が異なるようです。
NFT コンテンツは総じて、内発的動機付けができないものが上位にいます。儲かりそうの一点で評価されたアートばかりではないでしょうか。それは確かに現代アート的ではあるけども、アルゴリズムによる描画を評価しすぎていると感じます。
OpenSea のこの 24h の記録を見てもらえたら、言いたいことが伝わると思います。
正直な話、現状の NFT コンテンツはひどいと思っています。新規性一点突破だけでもすばらしいとは思いますし、評価されるべきだと思います。そして資本主義的にもアテンション的にも、コンテンツとして勝利と呼べる水準にいることは間違いありません。
ただ、全く欲しくないのです。それはきっと、キュレーター不在も一因です。文脈の定義が足りていないと思えます。
ソフトウェア(広義の AI)と人類の協業として生まれた次世代のアートだと言えば、その通りであって、ゲームチェンジャーです。ブロックチェーンによる神聖性も伴って、従来とは次元が違う作品群になっています。そう考えると、ブロックチェーン自体が、すでにアートとして美しいという結論に至ります。誰にも所有できないところが最高です。人類が作ったもので、そんなもの他にあるでしょうか。
日本のコンテンツは、これから先この環境に適応できれば、市場で圧勝できるのではないでしょうか。アート文脈的な新規性は当然求められますが、自動生成された幾何学模様よりは価値を出せるはずです。
かつて現代アートの世界に村上隆がもたらしたようなインパクトは、まだ起きていません。