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雑記

NFT = アートではない

前回の続きです。NFT アート、と言うものもありますが、NFT とアートは常に一括りなわけではありません。個別に存在します。掛け合わさったものが今目立っているだけです。

アートの定義は場面によるのでしょうが、現代アートの文脈で、作品としての魅力を持ちつつ、資産としても機能するものという枠で考えます。アートにはそれ以外も当然含まれますし、縛りを設けるのは必ずしも正しいことではありません。それでも、なんでもありでは話が進まないので、いくつかの枠組みは設けた上で考えます。

アートにはまず新規制が必要です。これまでの歴史にない新たな側面があり、斬新さが求められます。また、その新規制を裏付ける確かな品質、技術も当然に必要です。そしてそれらを明確にし、伝える文脈の定義、言語化も欠かせません。それらのが合わさった結果として、唯一無二の存在が生まれ、価値が見出されます。そして仕上げに、アートギャラリーやオークションが流動性を生み出し、価値を確定させ増幅していくわけです。
そんなアートの定義から逸脱するという新規制もあるのでしょうが、それはアートの世界で議論されるべきことなのでここでは割愛します。

アートとしてまず評価されて、価値がつくものがあって初めて、それをいかにして NFT と紐付け、新たな体験を付け加え新規制を増し、流動性を上げるかという議論が始まります。アートとしての段階で要件を満たさないものは、NFT アートではなく、NFT 化されたデシダルデータであることがほとんどです。

ビックリマンシールもレアなものでは価値が高まりますが、資産とまでは呼べませんし、普遍的にその価値が世の中に通じるわけではありません。ビックリマンシールを NFT 化しても、NFT アートにはならないのはそのためです。
でももし、新規制を持たせて、版権者の同意を取り、CryptoKitties や CryptoPunks のように、ブロックチェーン上にランダムに唯一無二のキャラクターが生成されて販売されるとしたら、それは NFT アートと呼べるかもしれません。

ここまでをまとめると、NFT の分類は次のようになります。

  1. 単なる交換不可能なトークン
  2. 交換不可能なトークンに紐づけられた実態サービス(時にチケットや証明書、あるいはデジタル画像)があるもの
  3. その実態サービス部分が単体でアートの規定にハマるもの

それぞれ明確に役割が異なります。

価格の面でも、注視が必要です。このままでは自作自演が横行するのは目に見えてます。高額で落札され、マーケットで流通したかに見えるものは、どこまで本当に評価されてお金が動いたのかはまだ読めません。中央集権的な NFT アートの取引市場は、金融証券の取引所と違って多くの部分が規制外にあります。なので、DEX に対するスタンスと同じく、価格を鵜呑みにするわけにはいかないのです。

最近売り出されている NFT 作品の中には、ビックリマンシールモデルが多数見られます。それらが売れて市場が広まることは良いことです。物理カードを売るよりもエコだし、利便性も高いし、所有者を特定した上での特典配布など、今後の展開も描けて、ファンと発信者の繋がりも設計できるでしょう。でも、それらの価値が二次市場で高騰していくようなことがあれば、注意が必要だと考えます。

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