文字でのやりとり、具体的に言うとメッセージングアプリでのやり取りや、SNS でのコメントのやりとりが難しい世代がいます。難しいと言うのはその世代より上の世代からの主観であって、当人たちがお互いをどう思っているのかはわかりません。というか、わかりようはないだろうなと思うのが結論につながります。なぜかを考えました。
年代的に、20代前半かそれ以前の世代を意識しています。いわゆる学生の世代です。その世代がこの先ずっとそうだということではなくて、毎年入れ替わりながら、おそらくその年代が直面していく問題だと推測しています。
実際にメッセージのやり取りをしてみればすぐに気づくことではあるのですが、それは TikTok などのコメントを見ていてもはっきりします。伝達すべき情報の量に対して、発信する内容が少な過ぎて、伝達精度が著しく低いのです。
小学生のように、文章が単純に稚拙だとか、会話がうまくできないとか言うことではないのです。実際に口頭であれば会話はできるし、単語も年相応に知っていたりするのですが、文字でのコミュニケーションになると、一気に問題が起きます。
理由として考えられることは、日常のやり取りにおいて、コンテキストが高すぎることが挙げられるのではないでしょうか。つまり、日常の限られた輪の中でのコミュニケーションの部外者である人に触れた時、共有する前提がないと言うことに気づけず、語彙の大半が無力化されるのではないかと思っています。
それもそのはずで、元々はクラスや大学の友達とか昔からの知り合い、親兄弟や親類など、ハイコンテキストなコミュニケーションが成り立つほど前提を共有している者同士でしか、連絡をすることがなかった年代です。それがアルバイトや仕事であったり、あるいは単純に SNS での交流であったり、急激に接触する人の種類と幅を持ち始めます。
これまでと同じように意思疎通ができないという事実に気づくためには、ある程度の社会経験が必要です。前提を共有しない人がいるという状況を経験するまでは、伝わらない前提で読み取ってもらえるように詳しく書く、という行為が想像できないのではないでしょうか。
かつて自分もそうであったはずですが、今ほど文字のみによるコミュニケーションに依存していなかったと振り返るので、うまく照らし合わせて推測ができませんが、観測範囲ではそういう説明が通ります。
弊害としてはやはり、これまで仲間内で使っていたスラングや記号などを当たり前のように使ってしまうため、単純に伝わらなかったり誤解をされたりすることです。さすがにメッセージでのマナーとか礼儀とか敬語とかはどうでも良いと思っているので気にするつもりもありませんが、伝わらないのは問題です。
また、その状況に対して、わからない方が異常だ、という認識が生まれるメカニズムがあるのではないかと思っています。それがより問題を複雑にします。例えばですが、今日バイトで仕事先の人とこんなやりとりをしたんだけど通じなくて、と友達に話せば、えやばいねと理解をされます。同じ文化圏同士なので、そこが通じるのは当然なのですが、このループがある限り問題を認識できません。偉そうにしているという意味ではなく、自分たちが世の中の主流であるという錯覚を生むのです。
今のところ、これはテクノロジーではどうしようもないことです。教育の領域ではないかと思います。
今後、幅広い人との前提を伴いわないコミュニケーションを文字だけでもできるようにすることを教育に取り入れていただきたいと思います。敬語より、そっちが大事です。