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雑記

苦情は伝えるべきか

悩ましい問題です。何も問題が無く日々の生活を送ることができればそれが一番なのですが、生活をする上でのちょっとしたトラブルというのは避けられません。消費者としてサービスの提供を受ける側にいてトラブルに遭遇した場合、どのように解決するのか人それぞれ対応が分かれると思います。

クレーマーみたいな態度とか、ただ怒りに任せたリアクションは個人的には嫌いですし、そのような態度は生産的ではなく、お勧めできません。しかし一方で、問題があってもそのまま放置するという対応もどうかと思うのです。

実はこれまで、僕はクレームを言わない人でした。全く何もリアクションをしないで、そのまま無反応で過ごすのです。当然、圧倒的に間違った状況に遭遇すれば対処せざるを得ませんが、そのミスが意図的ではないと判断できる場合、リアクションをすることにもコストが発生するので、何事もなかったように自分の側で対応をしていました。例えば注文と違う料理が来ても、料金の間違いとか、食べられないものでない限り、それで良しとする対応です。あるいは街中で騒いでいる人や迷惑な人がいたとしても、ダメージを受けない限りは放置していました。

でも最近、物によっては問題の解決に貢献した方が社会全体のためにプラスになるのではないかと、思うようになったのです。マイノリティーは発言することに意義があるという考えにもこれは発展しています。先の例であれば、注文を間違えられてスルーしても困るのは自分だけなので良いのですが、社会的に周囲の環境に迷惑をかけている事象があったと判断できる場合には、進んで動きを取らないことに問題を感じるようになったのです。

そんなわけで、今年に入ってからは機会があれば行動するようにしています。これは、多少の精神的余裕も影響したのかもしれません。例えば、お店で何かのトラブルに巻き込まれた場合、苦情を伝えて対応を要求して、自分に不利益な結果につながったらどうしようかと躊躇してしまう事があると思います。もっとわかりやすく言えば、何かやり返されたらどうしようとか、不安に思います。それに対して、何がきても対応できるという環境であったり、後ろ支えがある事は重要でした。何もなければ、やはりリスクを取らず、コストを支払わない方が身のためと思ってしまいます。筋肉ムキムキの人は最悪、戦ったら強いからという理由でも自信がみなぎるのでしょう。それはいつか見習いたいと思っています。

ちなみに昔は、例えば美容室とかで全く満足ができなかった場合、アンケートやフィードバックで満点を与えるようにしていました。そうやって、成長の機会を奪うという意思表示のつもりでした。タチがわるいですね。

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