最後の最後で、碇ゲンドウに共感した人も多いはずです。何の話かと言えば、孤独についての捉え方の話です。
孤独に最適化された生活にはメリットが多いと思っています。社会的な動物である人間にとってはリスクが高く、本能に反することではあるのですが、現代は仮想的に社会に所属する手段が多数提供されており、昔のような孤立のリスクや弊害は少なくなってきたのではないでしょうか。これまでの常識に照らし合わせて、孤立は良くないという前提で物事を考えるのはフェアではない気がしています。
孤独状態のメリットはと言えば、やはり興味関心の範囲だけで生きていけることです。知りたいことを好きなだけ知ることができるし、その逆を避けることができます。予定が変わることはありませんし、誰かに合わせる負担も無くなります。
それが辛い、寂しいと思う人もいるようで、事実としてコロナ禍でも飲み会をやりたい人たちが存在しています。正直それは理解できないので、リモート飲み会とかまで編み出されたときには自分の想像力のなさに衝撃を受けました。
個人的に、孤独状態の良さが強く発揮される時というのは、見知らぬ国を旅している時だと思っています。それは割と勇気がいると行為だと思う人もいるかもしれませんが、全く問題はありません。むしろ複数人での行動の方が制限も多くなりますし、まだ経験したことがないという人がいれば、ぜひおすすめしたいです。
旅先で人と触れ合ったり出会いがあって感動するみたいな話も聞きますが、そんなものはあまり必要ではありません。人に会いに、わざわざ遠いところへ行くわけでは無いからです。その都度の出会いも大切だし、後から大きな財産になることも事実であるのですが、それが本来の目的という考え方には違和感があります。人との出会いは、副産物であり、偶然の出来事であり、獲得できればラッキーな宝なのであって、狙って得られるものではありません。人間、そんなに簡単に良い社会的つながりにありつけるわけではありません。
旅をすることの、あるいは孤独に旅をするこの最大の目的は、移動そのものにあります。1人で見知らぬ地に赴く過程そのものが、大抵の場合最大の刺激になるからです。現地で観光地になんて、いく必要はありません。あれは YouTube で観られるので、わざわざ肉眼で見る必要は無いからです。
飛行機や電車やタクシーを乗り継ぐ長い移動を経て、広いホテルの部屋でゆったりくつろぎながら、考え事をする時、これまでに無い刺激を経た脳に化学変化が起こるわけです。ルーチンに縛られることを幸福な状態と感じる僕自身でさえも、その刺激には毎度感動を覚えます。抜け出せない思考のループからも、飛び出せる可能性がある瞬間なのです。根底から視点を覆す可能性を得られるのです。
いつか人類が移動の自由を再び獲得したら、また旅で予定を埋めたいと思っています。