ワクチン接種が現実のものになった瞬間、全く予想外だったいろんな場面で、反ワクチンの意見を耳にすることになりました。本当に打つんですか?という人からの助言であったり、私はやめておきますという決意表明であったりしました。反ワクチンなど地球の裏側とまでは言わないまでも、遠い世界の出来事だと思っていたので、その状況に意外さを感じました。
本来はここで耐えて、集団として免疫を持ち経済を復活させるためには多少の副反応リスクがあったとしても推奨すべきであって、とか、反ワクチン派の主張に真摯に反論するべきなのかもしれません。でも、それがまったくの他人ではなく、知っている人であった場合、説明が非常にめんどくさいということに気づきました。
そこで僕は逃げて、シンプルにひとこと答えるようにしています。
体のバージョンアップですよ?しないんですか?
それだけです。β版が落ちてきたら、普通アップデートするでしょう?将来的なバグを恐れていたら、パソコンなんて、ましてや仮想通貨・ブロックチェーンなんて、触っていられませんよ、と続けます。人体実験とか胸アツだと思っているのは事実ですから。
農家が丹精込めて作った米や、漁師が命をかけて釣った魚はみんなありがたがるのに、世界トップの頭脳が切磋琢磨して作ったワクチンを残すという考えには、違和感を感じます。そこは、いただきますと言って打つべきところではないでしょうか。
人類は、もうすでにコロナウイルスの進化に負けているのだから、選択肢は限られているはずです。新型コロナウイルスが出たあの時から、負けています。今更採れる選択肢など、本当にたかが知れているわけです。ウイルスの側に付き、ウイルスを受け入れて、これからの変異に貢献するのか、あるいは人類の側に付き、体を緊急アップデートして一時的にでも不具合を制御し、立て直すための時間を稼ぐのか、どちらかではないでしょうか。さすがに、分断の時代を感じざるを得ません。
陰謀論的な主張はスルーするとして、副反応の心配はわからないわけではありません。新型コロナウイルス感染症の症状には、血栓を作るというものがあります。ウイルスに対抗するために作られたワクチンでも、低い確率とはいえ結果的に血栓に関連するトラブルが出るというのは想像できないことではありません。実際のところは正確なデータや、専門家のコメントをいただかなければなんともわからないことではあるのですが、ワクチンが完全に無害だなんて、そんな風に考えるべきでは無いのかもしれません。ただ、打たない不利益より、打つ不利益の方が遥かに少ないから推奨される、という前提で望むべき課題です。
日本では子宮頸がんワクチンが不確かな情報のせいで普及しませんでした。大いなる損失です。もう、そんなことを繰り返している時代ではありません。その反省を活かすのは今です。
何れにせよ、新型コロナウイルスに感染して死ぬ可能性より、ワクチンを打って死ぬ可能性のほうが低いと認識するべきは当然です。一定数でトラブルが起きるのは問題ですが、ワクチンが無い事のほうがもっと問題です。いつどこで感染して発病するかわからないコロナウイルスと、人工的に作られたことがわかっていて、しかも摂取した日が特定されていてその後のケアも対応方法が考えられているワクチンと、どちらがリスクが高いかは一目瞭然でしょう。
社会全体にとってプラスになるのは、すべての人がワクチンを摂取し、これ以上コロナウイルスに進化の可能性を提供しないことです。そしてまた、経済再生のために、歪みきった状況を短期間で改善するために、コロナウイルスによる人間同士の疑心暗鬼を撤廃することです。どちらかが欠けても、状況は停滞します。
未知のワクチンで将来に何が起こるのかわからないという不安がある場合、その不安は理解できますし、尊重されるべきかもしれません。ただし、経済復興や社会的関係性の修復の中では、そういった個人の不安は次のウイルスとなります。その蔓延だけは、ワクチンや薬で防げるものではありません。生物的な遺伝情報以上に、そちらのノイズのほうが遥かに大きな害を及ぼすと警戒すべきです。
「新型コロナウイルスワクチンの摂取に思うこと」への1件の返信
[…] 聞かれれば、ワクチンは打ちましょうと、はっきりと主張しています。先の投稿でも触れたとおり、僕は推奨しています。断然に推奨しています。 […]