TITAN 騒動があって、やはりハイリスクハイリターンの DeFi は恐ろしいという風潮があります。それはその通りで、DeFi を知れば知るほど、その破壊的な影響力に吸い込まれることになります。リスクとリターンの観点だけでも選択肢は千差万別、何でもありです。
だから、よくわからなかったり、あえてリスクをとっていた場合には、良くも悪くも何が起こるかわかりません。それが DeFi の真髄であり、同時に完全な自己責任の世界を体現しています。何が起こっても、誰にも頼ることはできません。ジャンプコミックレベルの無理展開でも、自分で勝ち抜くしかない世界です。
それをすばらしいと思うと同時に、気安く触れることの危険性を伝えねばならないとも思います。めんどくさくても、知識をつけることは必要です。わからかないままなんとなく、など通用する世界ではありませんし、そういう態度であれば他の選択肢を取るべきです。無知が一番恐ろしいのは、修行もせずに敵と戦う漫画がないことでも証明されてきました。
一歩引いて冷静になるために、DeFi を考えるときは、そして DeFi で実現されている Stablecoin を考えるときには、鋼の錬金術師を思い出すのが良いかもしれません。改めて観てみる価値があります。鋼の錬金術師の展開同様、現実世界でも、都市すべての人の魂を対価にして何回層にも抽象化された金融商品というものがありました。そこで錬成された商品をめぐり、世界が崩壊しかけたことがあるわけです。いわゆるリーマンショックです。その苦い経験があったからこそ、Satoshi はビットコインを提唱したのです。
当然ですが、無から有は生まれません。この宇宙では、等価交換の原則が働きます。何を対価として手に入れた価値なのかは、常に意識するべきです。何かを手にするとき、自分の見える範囲では支払ったものが見当たらなかったら、世界のどこかで誰かが代わりに対価を支払っているのかもしれません。
話は飛躍しましすが、過去に Elon Musk が鋼の錬金術師のエドワード・エルリックの画像を Twitter のプロフィール画像にしていたことがありました。ということは、彼はあの時、何かを錬成したのでしょうか。そうであれば、対価は何だったのでしょう。
今現在は明らかに、仮想通貨界隈、特にビットコイン信奉者やコミュニティーからの信頼を対価として、資本主義的価値や影響力を得ています。Tesla の顧客や株式市場関係者からの信頼も同様に、対価として支払われているように僕には見えます。その果に何を得ようとしているのでしょか。