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雑記

興味の範囲が狭まる恐怖と多様性の中での生存戦略

音楽にスポーツ、お笑い。以前は興味があったものに対して、まったく関心を示さなくなりました。この10年ぐらいの変化は特に激しく、興味が落ちているというレベルではなく、無くなってしまったと認識できるほどです。先に挙げた中であれば、耳をふさぐための目的に、Spotify のアルゴリズムがすすめるプレイリストを再生するぐらいしか触れていません。

小説やマンガ、映画はもとからあまり興味を持っていませんでした。数えるほどしか消費してきませんでした。だからそれがゼロになることは驚くに値しません。
問題は、アニメのように、関心が強かった分野についても、明らかに関心が薄れていることです。でもよく考えたら、実はアニメもたくさん観ていたわけではなく、特定のアニメを何回も観るような楽しみ方だったので、新しく触れる数が減ったかと聞かれれば、あまり変わっていないような気もします。それでも少なくとも実体験として、新しく観てみようと見始めてみても、すぐにやめてしまったりしています。まったくおもしろいと思えないことが多々あるのです。

これではいけないと、ある日思いました。圧倒的な関心の低下は良くないと言われるからです。心身の問題ではないかと思うこともあります。そうして、あえて小説とかを読んでみようかなと思い立つのですが、そんな状態で本を開くまで進むわけもありません。とりあえず開いてみた Netflix は、何を観るでもなく、観るものを選んでいるうちに食事も終わるわけです。
この状態を良しとしないで、スポーツや小説、映画などは、挑戦してみようとしています。ただしオリンピックはもう観ないと決めましたし、何が良いのかわかりません。それを調べるところから始めようかなと今は思っています。

一通り悲観してみましたが、ポジティブに考えれば、もっと面白いことにのめり込んでいるからとも言えます。選択と集中です。余計なものをついに排除することに成功したと考えてはどうでしょうか。確かに、他のことにつぎ込んでいたエネルギーはすべて、今この瞬間に興味があることにのみ注ぎ込まれています。

よく僕は仮想通貨の人と認識され定義されていますが、実際は違います。違うと思っています。元々はビットコインに熱狂していました。それがブロックチェーンに関心の中心が移り、それが本業になりました。やがてブロックチェーンを維持するためのマイニングを実現するハードウェアの設計やコンセンサス・アルゴリズムに興味を広げ、人との接点となった ICO という変革に出会い、トークンエコノミクスにのめり込みました。そして DAO を実現することを夢見て試行錯誤し、既存の社会との接点で悩みセキュリティートークンや NFT に刺激を受けました。そうした旅の中の現在地は、DeFi です。今いる場所がおもしろすぎて、刺激的すぎて、頭がおかしくなりそうです。何一つ達成感を味わえず、無限に壁が現れ、いつまでも楽しませてくれます。
いつか、せめてビットコインをわかったと言いたいと願っています。

偏りを良しとする考えで行けば、この状態は大変に健全です。多様性のある社会に貢献するためには、その多様性の中のひとつの偏りになることが大切です。多様性を維持するための部品としての、尖った部品になることが生存戦略です。

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