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雑記

人と AI の思考のモデル

計算機がアウトプットとして特定の結果を導き出すためには、思考の枠組み、モデルを人間が提示してやる必要があります。AI の実現に向けて、そのモデルの特定の段階から計算機に考えさせる方向に手法は進化していますが、モデルが必要なこと自体は変わりません。
また、モデルが必要なのは AI だけではありません。人間にだって必要です。抽象的な概念を理解し思考する事は、産業社会に生きる我々に求められていることです。

機械学習、マシンラーニングは、大量のデータを必要とします。大量のデータを高速に読み込み、比較検証し、学習を進め、モデルを自律進化させるためです。動物の写真を大量に見ていくうちに、犬と犬以外の違いがわかってくるというわけです。事前に明確な思考の枠組みを提示しなくても、概念を理解するための行動を起こすきっかけさえ与えれば、計算機は学習を継続します。

人間も、本来同じ道を歩んでいます。というか、この手法自体が人間の脳の学習のプロセスから着想を得て実用化されているものです。人間も、成長の過程で多くの情報に触れ、考え方に触れ、認識する力を備えていきます。

重要な点は、人間の学習プロセスを模したわけなので、人間同様に機械も間違えるということです。むしろ間違えるからこそ、前進を認識できるわけで、間違え続ける段階の方が圧倒的に長いことになります。
その状態での人間との決定的な違い、別の言い方をすれば人間を改良した点は、マシンラーニングはスピードが圧倒的に早いし並列的に進む点です。そして複数の個体の思考結果を統合して共有するので、間違いの結果からフィードバックを受けて改善する速度がとんでもなく早くなります。

人間は単体で、単一的な思考の連続でしか考えられないので、間違いを犯すスピードが遅くなります。しかも場合によっては、間違いを犯してもそこで立ち止まってしまいます。経験と呼ばれるこれまでに蓄積した認識の結果が邪魔をして、間違いを犯すことを阻害したりもします。間違いを犯したことを後悔することで、次の学習を阻害してしまうことだってあります。

人間が機械に勝つ必要など無く、人間と機械は共存するものであるという前提は明言しておくべきではありますが、この人間と機械との違いを踏まえて考えれば、人間は立ち止まるべきではないはずです。もちろん、立ち止まることによって冷静に確実に施行の精度を高める必要は引き続き存在します。あるいは思考だけではなくて、仕事を進めるための燃料にもなり得る肉体や精神の回復・修復のためにも、立ち止まる事は必要でもあります。
しかし立ち止まっている限りは、前進がないのも事実です。効率よくしようと、フレームワークを立ち止まって組み立て続けるよりは、何度でも間違いを犯して高速に失敗を繰り返した方が、最終的な精度が高まることを機械学習が教えてくれています。

量子コンピューターの世界観ではこの根本的なアナロジーが通じない世界がやってくきますが、人間の思考回路がこの先劇的に変化するとは考えられません。人間にできる事は、スタンドアローンで稼働する非効率的な脳というリソースを酷使することしかありません。感情という一見すると無駄に働きそうなものがある理由は、思考の劇的な加速を促すためなのではないでしょうか。

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