いつの頃からか、掃除が楽しくて仕方ありません。皿洗いがしたくて、汚れたらすぐに洗います。洗濯もそれを畳むのも、楽しい行為です。
そこから拡張されて、毎日長文を書くのが楽しくなりました。苦はありません。
これはなんなのだろうと、思います。もちろん意図してこうなったわけで、目的があったわけですが、こんなにも長期にわたって生活に入り込み、影響を与えるようになるとは当初は思っていませんでした。
昔から、毎日細かい記録をとりながら行動しています。例えばこんな感じにです。
習慣化が大切と言いますが、正確に感覚を言うと、修行です。掟に従って自動的に繰り返している状態に近いです。繰り返し行う Practice であり、一連の Protocol です。
なんのためにこんなことを始めたのかといえば、もちろん良い習慣を強化して、悪い習慣を駆逐するためです。
昔の例ですが、英語が苦も無く聞き取れて会話も読み書きもできるようになるまで、そのための習慣に全振りしていました。目的を達成する頃にはもうそれは生活の一部になっており、自動的に従う一連の流れになっていますので、無意識に実行するようになります。そうなれば、余ったエネルギーを使ってまた新しいことをひとつ取り入れるのです。
開始当初は予期していなかった副次的作用がありました。最近はそれの方がむしろ重要であると感じています。
その副次的効果とは、心身の安定性の向上です。
特に、当たり前のことだと認識している作業を確実にこなすことで、自信がつくのです。自尊感情が高まるのです。要するに、困難な状況にあっても自分を信じられるように、鍛えられるのです。いわば、メンタルの筋トレです。
取り組む内容は、おそらくなんで良いのだと思います。毎日確実に、自分が当たり前にやるべきと信じていることをやるのです。特定の場所の掃除でも良いし、靴を揃えるでも良いし、挨拶を自分からするとかでも良いんだと思います。要するに良いと信じている行いを通して、自分との小さな約束を確実に守るのです。小さければ守りやすいので、なお良いわけです。それが習慣となり、決まったことを決まった時に決まった場所で自動的にやることが楽しくなってくれば、後は慣性で進みます。
客観的に見れば、まるで機械のような状態です。自由を失った計画の奴隷のようです。しかしそれは見方を変えれば、意思が肉体を制した状態です。意思が、肉体を従えて、行動を制御することに成功した状態です。それは素晴らしく主体的な状態であり、コントロールを持った状態です。
行動をするとき、無意識でできるレベルで肉体に行動を馴染ませたら、意識は無となり、瞑想と同じ効果すら得られるようになります。肉体への委任は、生産的で健康的です。
「掃除が楽しくて仕方がない状態」への1件の返信
[…] 読む頻度は、ほぼ毎日です。隙があれば、常に、という感じです。主に歩いている時が中心です。また、家で掃除や家事(これは趣味の領域で気晴らしとしてよくやっている事)をしている最中も、常に聞いています。あまり知られていないのですが、Amazon Echo を使って、「Alexa 本を読んで」と言えば読み上げてくれるので、それもよく使っています。 […]