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雑記

ビットコインの人であるということ

僕は、正直に言って、ビットコインの人と思われることが嫌でした。仮想通貨の人であることが、嫌でした。たまたま技術的な面白みを感じて始めたことですが、気づけば深入りしており、それがいつのまにか自分のアイデンティティーへと成長していたのです。
アイデンティティーから信念への影響と、それが意味することの重大さについては、後日改めて記したいと思います。

ビットコインの人であることが嫌だったのには、いろんな理由が絡み合っています。
バブルが膨らんでいる時は、どれだけ伝えても本質的な部分を聞いてもらえませんでした。バブルがはじけたら、みんな次の何かを探しに出かけ、ビットコインのことすら口にしなくなっていました。根底にあるビットコインの持つ思想や設計の美学は、何も伝わっていませんでした。
例えばそんな状況に、絶望していたんだと思います。

でも、一番絶望を深くしたのは、僕自身が説明する事を放棄した事実でした。諦めたことでした。本当は諦めずに、どんなに疎外感を感じても、向き合って発信し続けるべきでした。
決して孤独が苦手というわけではないのに、解ってもらえないもどかしさや、伝わっていないんだなという感覚は、辛いものでした。だからと言って、分かる人だけが集まるということには、それ以上の違和感を今も感じています。それは逆に多様性を放棄した、変化の起こり得ない環境だからです。
何をどう言っても要するに、立ち止まった自分に絶望をしたのです。

いくら後悔しても、もう手遅れでした。ただただ、増殖するデータに埋もれながら、ひたすら自分の大好きなこの先の技術についてを調べ尽くし、試して遊んでいました。技術の理解とその実用化と応用、それを繰り返す時が、何よりも心が安らかにしてくれます。

NFT、DeFi、ビットコインの暴落。今日も話題が尽きません。大手の参入も増え、次元の違う注目を集めるようになりました。ビットコインの時価総額は、一時は $1T を超えました。かつてのビットコイン業界など、無いに等しいほどの規模に膨れ上がっています。もうすでに、新たなステージに入っています。
そんな市場環境であっても、仮想通貨の人である限り、非ブロックチェーン分野のテクノロジー業界全般からは、詐欺師のように扱われることがあります。同時に、金融業界からは、粗悪な金融の真似事だと軽蔑されます。彼らが悪いのではなく、明らかに、ビットコインの登場の仕方や、短い歴史の中での出来事や、そこに集まる人達が群となって発しているメッセージが、この結果を生んでいるのです。つまり、悪いのは他でもない、自分でした。いつだって、結果を呼び込むのは自分自身の行動です。自分を含め、これまでに携わった人たちの総意の結果なのです。

これまで、その結果に対して、無力だと諦めて耐え忍んできました。見て見ぬ振りをし、自分のやりたいことに閉じこもり、快適な閉ざされた世界に身を委ねていたのです。しかし、このままで良いのだろうかという思いが、頭から離れません。これ以上、ビットコインや仮想通貨に対して、間違った説明を見聞きしたり、誤解をされている現状に、耐えられそうにないのです。もっとちゃんと、この未来を多くの人に知ってほしいのです。
ビットコインをたくさんの人に教えてきました。いろんなところで話しました。信じていると言いました。可能性を叫びました。そんな僕には、多少なりともこの状況に対して、行動を起こす責任があると勝手ながら思うに至ったのです。

多様性のある社会で孤立する多くのマイノリティー達がそうであるように、今ここで声を上げなければ、自分自身の存在意義が失われるという焦りを感じています。

「ビットコインの人であるということ」への1件の返信

[…] しかしながら、自分もこのマイノリティーの一部として、やるべきことをやっていこうと決意しました。最近どうにも、ビットコインが置かれる状況に耐えられなくなってきたのです。様々なマイノリティーな人たちの行動やメッセージは、ガツンと響いて、勇気をもらいました。この先の叫びについては、ビットコインの人であるということに記しています。 […]

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