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雑記

仮想通貨暴落の裏で考えたこと

この24時間は激動の時間だったと言えます。何が激動かといえば、仮想通貨の価格です。一時は急落して、半額セールになっていました。それもわずか数時間の出来事でした。

僕は常々、仮想通貨の値段には興味がないと言っています。その理由は、目先の価格の動向によってもたらされる利益にではなく、仮想通貨の技術によってもたらされる長期的な福音にむしろ興奮を覚えているからです。
とは言え、仮想通貨の大ファンとして、その評判が下がるような事態は好ましいものでは当然ありません。今回の一件でも、文字通り世界中から連絡が届きました。心配もあれば、買い時を考えた期待もありました。

そこで、今回の暴落でも僕が動揺をしなかった理由について、少し残しておこうと思います。

客観的に見ている人はもちろんのこと、最近仮想通貨を知った人や、価格が最高値近くにあった時に購入した人が、恐ろしく不安に感じたのは当然だと思います。実際、多くの取引所がこの暴落の最中にダウンしていました。その状態がさらに不安を呼んだのでしょう。完全なパニックになっていたんだと思います。

冷静に考えればわかることなのですが、多くの取引所がダウンしている状況では、今のビットコイン価格がいくらかなんて、正確に把握することは不可能です。生きている取引所の情報から、下落傾向にある事は認識できたとしても、個々の取引所が示している価格は全くあてにならないはずです。実際、吐き出された数字上では、取引所間の価格差が大きく開いており、それによってさらに取引を希望する人が殺到し、より一層の困難を生んでいたと見ています。
ビットコインなどの仮想通貨の場合は、取引所ごとに異なる価格がついていることや、その取引所ごとに、そして通貨ペアごとに、流動性や取引量が大きく違うということも、全く知らない人が大半だと思います。知らなければ、不安になるのは当然だと思います。
結局のところ、サーバーがダウンして正確な価格がわからなくなった状態では、相対的な他者の評価による価格は参考になりません。その瞬間は間違いなく、自分自身の中の絶対的評価のみが、価格を決定します。

それと、当然ですが、ビットコインや Ethereum のような、パブリックな空間上で運用されるブロックチェーンをベースにしているシステムは、この暴落の最中にも停止することなく当然のように機能し続けました。もし仮にビットコインや Ethereum の基本的な機能の部分に欠陥や問題が生じていれば、価格の暴落などでは済まなかったはずです。
今回のような暴落の最中で、中央集権型の取引所に障害が集中した様子を見て、改めて分散型システムの強さや利点を思い知らされた気がします。分散型取引所の取引が滞るようなことがあれば、それはすなわちブロックチェーン上に問題が発生したとことにもなり得ますので、そういったトラブルが起こらなかった事は、むしろこの技術に対する信頼を向上させたと思っています。

中央集権型の取引所は、最良のインターフェイスをユーザーに届ける役割を果たしています。
この難しい技術レイヤーの中で、最もユーザーに触れる、重要な対話の役割を果たしています。だからこそ、人々は価格の暴落から不安になり、価格のチェックや、あるいは手持ちの仮想通貨の売却をするために、中央集権型の取引所にアクセスしました。皮肉なことに、仮想通貨のインフラそのものは全く正常に機能しているにもかかわらず、ユーザーが求める機能だけが停止した形になったのです。
結果的にブロックチェーンは滞ることはなく、インフラに対する負荷も、本来受ける可能性があったものよりも相当に低かったと想像できます。言うなれば免疫知能のように、表面的な過剰なアクセスを中央集権型取引所が抱え込んだように僕には見えました。

そんなわけで、絶好の参入のタイミングじゃないですかね?と無責任なことを繰り返し返信するお祭りの時間は過ぎていきました。その判断がどう出たかは、これからの歴史を参照してください。

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