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雑記

信念の力

信念は人の認識の源になっているものであり、心の最下層に横たわるものです。大人になれば、多くの人が多少なりとも認知に歪みを持つようになるのですが、その歪みの原因となるものもやはり、信念に由来します。
信念は心の奥底に根を張り、何年もかけて徐々に徐々に成長し、花を開くのです。まるで、映画インセプションのように、植え付けられた考え方が人を支配します。そうなったとき、人は簡単にはその信念に起因する考え方からは逃れることができません。良い方向にも悪い方向にも、人を縛り付けます。信念を元にした行動は、その人のアイデンティティーを形成し、あらゆる価値判断を瞬時に下すようになっていきます。

信念はすべての行動を司る根底にあるものだとしたら、表層的に現れている、言葉になっているアイデンティティーは、深層心理に対する操縦桿のような役割を果たします。別の言い方をすれば、セキュリティーホールかもしれません。アイデンティティーを矯正したり偽ることで、信念を歪める力を持ちます。形から、名前から、肩書きから入るという考え方がありますが、その力を侮ってはいけません。

信念から来ている考え方や行動については、他者に触れられることすら許せなくなっていきます。信念に起因する言動は、人が怒るポイントにつながっているということです。誰かを怒られたなら、それはきっと信念に触れたからであり、自分が感情を乱す時があれば、それは信念が傷つけられたからです。

人間が集まり抱く共有幻想は、その集団に所属する人々のアイデンティティーとなり、やがて信念を強くします。いわゆる宗教や経済システムがそのわかりやすい例ですが、集団に所属することで信念を強化し、そして信念に反する行動が取れなくなっていきます。信念に反する言動は、すなわち自己の否定につながるからです。それはもう、生き死にに繋がると言っても過言ではありません。

資本主義経済が発展した直近の数十年、我々が信じる資本主義という宗教は、多くの人々を取り込んでいきました。幸せにもし、不幸しもしましたし、不幸から逃れるための救いを提供しました。お金があれば幸せになれるというわかりやすい教義により、人々の信仰に対する行動の示し方、Practice をわかりやすいものにしました。働けば良い、稼げば良い、そしてそれを使えば良いのです。足りなければ、もっとです。

ビットコインは、その構造に対するカウンターカルチャーでした。そしてさらに、Cypherpunk の文脈では、暗号化武装によって人々の権利を守るための具体的なソリューションでもありました。これまでの体制に、宗教に、疑問や違和感を感じていた人々や、異議を唱えつつも対抗する手段を持たなかった人々が、ビットコインという信仰に従いました。

徐々に参加者が増えてきたビットコインという宗教ですが、本当の意味での教義、思想を理解し受け入れている人の比率は決して高くないと思われます。多くが、資本主義的価値観の中で培われた信仰に従って、ビットコインを新たな資本主義的信仰を体現する道具と考えているからです。無意識的にそうなっているのは、あまりにもこれまでの資本主義的価値観が優れていたからでしょう。

しかし、それで良いと思います。世界に広がった巨大な宗教であればあるほど、本当の意味でのメッセージを受け取っている人の比率が下がっているのと同じです。聖書の言葉や僧侶の唱えるお経を理解することが肝心なのではありません。みんな、目先の衣食住や命の安全のため、あるいは国家や地域の安全のため、宗教を受け入れ、結束し、身を守ることに徹しているのです。曲解であっても、最終的に多くの人を信じさせ、その結果約束の地に連れていけば良いのです。裁きの時に、天国へ連れて行けば良いのです。

宗教をアイデンティティーにしてしまい、信念に組み込んで、使徒に取り入れることが、宗教と信者が共に生き延びるための生存戦略となります。文脈を共有するネットワークが拡大すれば、信者全体のメリットは最大化されます。だから、神殿や教会や寺院が必要になるし、伝説が必要となるのです。ビットコインであれば、価格の上昇や儲けというのが、必要になるのでしょう。

人の信念にどれほど影響を与えることができるか、大変に興味深い事例が今起こっています。

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