Fake news や Cambridge Analytica 問題などの規模の大きな事象についてではなく、身近なところで疑問に思うことがあります。
2ちゃんねる(5ちゃんねる)という、どうしようも無い場所がありますが、そこに書き込まれる情報や、それを起点に巻き起こるネット世論の意見は、どこまで真実なのでしょう。
たいてい、はじめの2〜3人のコメントで流れが決まっています。ではその2〜3人は、どういった人格なのでしょうか?その他大勢と同じく、単なる消費者側、参加者側の人なのでしょうか。もちろん、ユーザーがコンテンツを生成している時点で、単純な消費者とは異なります。そういう意味ではなく、何かの意図をもって動いている個人や団体である可能性を否定できないと言いたいのです。 すぐにコメントをするのは、すぐに反応できるほど張り付いている人だけであって、そのテーマに対して純度が高く感度が高い人であるはずです。だから、簡単にそういったコアな層から影響力を奪うことはできません。でも、継続して徐々に思想に対する影響を与えることはできるのではないだろうかと疑っているのです。それがインターネット上でのマーケティング活動であると思いますので、だれがどんな意図で誘導をしているのかが、常に気になってしまいます。
まとめサイトなどはより恣意的にコメントの選択や強調がされているので、完全にエンターテイメントとして作られています。編集者の意図があって、その芸風に人が集まっているわけです。しかし、まとめサイトと掲示板を行き来し繰り返すことで、世論の方向性は徐々に傾いていくことは想像できます。それは Twitter でも同じです。
お金のある企業が情報を操作しているとか、上級国民がどうとか、そういうことではありません。お金をかけても簡単には動かせなくなっているのが実態だと思うので、逆に、企業の思惑とは違う方向で炎上したり議論が巻き起こっている時、その方向に世論を傾ける何か力が働いているのではないかと、疑ってしまいます。考えすぎだと思いますが、自衛のために、そういう癖をつけることは必要だと思っています。
ステマだとバレるとマイナスになる時代ですが、今でもお金を使えばある程度の人の行動や、露出する情報をコントロールできるわけで、反射的に生成されている情報の方が圧倒的に多いインターネット上の書き込みについては、真意の判断が難しくなります。見えているものが真実と言われれば、普段目にするネット世論が真実なのかもしれません。しかし、ある程度のコントロールが働いていると考えて、冷静に自分の意見を保つ防御力は持たなければならないと思っています。
具体的には、ニュースがあって、それに対するみんなの反応を先に見てしまうと、引きずられます。反射的にコミュニティーの反応を見るのではなく、自分の意見を先に起動しはじめるべきです。
ムーブメントは作られるという前提で、何事も捉えなければ大事なことを見誤ります。人類はまだ、情報過多の時代に対応できる進化をしていませんし、脳の拡張であるデバイスもインターネットも、発展途上にあります。
そう疑って物事を見ると、サードウェーブに対して誰が何を仕掛けたいのかという視点が面白くなってきます。今はまだ、騙すことが正義であり、力を持っている時代です。誰が何をしたいと思っているのか、言葉以外の部分をみる習慣を身につけるべきではないかと個人的には思っています。