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雑記

毎日書く方法とその意義

Morning pages というものがあります。これは、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という本に出てくる毎朝の週間です。これは、おすすめです。

Morning pages が何かというと、毎朝ノートを開いて、思いついた考えを書きなぐるという行為です。朝一の頭がスッキリ冴えている状態で、なんのインプットも疲労も無い状態で、あえて手書きで、思いつくことを書くだけの行為です。毎朝山頂で、大声で叫ぶ行為に近いです。特に内容には意味がなくて、絞り出してでも書くことに意味があります。

元々、僕は手書き文化は否定派なのですが、これに関しては良い体験だと、続けてみて感じています。手書きとデジタル入力の比較については、また後日書きます。
手書きにすることで、思考の速度をあえて落とし、文字を書くというスローな物理制限にしばられた状態になり、走り去る思考を制御するという感覚が得られます。それはまるで、乗馬のような体験です。他の意思と自分の意思との2つを操る感覚と言えば良いでしょうか。写経のように、ただただ脳の言いなりになって、なんの制限も無く誰にも見せない内なる叫びを書き留めている間、身体性が薄まっていきます。操作している脳の側から見れば、遅すぎて待ちが発生することがはっきりと体感できます。そんな状態で、アウトプットを待っている間に、内容を再構成したり思考錯誤をして、やり直すこともできるのです。

本来は A4 のノート3ページ書くようにと言われているのですが、日本語にすると3ページは手が疲れすぎて正直しんどいです。英語でも3ページはちょっと手が痛い思いをします。だから、勝手にアレンジして1ページにしています。さらに僕の場合は書き方がむちゃくちゃで、楽をしたいばっかりに、その都度思考するのも書くのも楽な言語に切り替えて書いてしまっていますので、日本語と英語が混在しています。

この行為による、マインドフルネス的な効果は高いです。瞑想のアプローチにも含めることが出来ます。
一旦思考の中身を吐き出し、昨日までの出来事を元にポジティブな方向性に補正しつつ、記憶を形成する儀式として有用です。

僕の場合は、それが終わった後すぐに、このブログを書いています。公開する時間はまちまちですが、書くのはそのタイミングにするのがいまのところはベストです。
目的は、とにかく短期間で思考を整理し文章化し、発信する訓練です。これは毎日やらなければ意味がないので、書き溜めはしません。まさに、Done is better than perfect であって、嘘や間違いは避けたいですが、質を重視していつまでも仕上らないよりも、出すことを何よりも重視しています。

時間はかけたくないので、大体25分から45分で仕上げます。逆に言えば、そこまでの範囲でできることをやるようにしています。
結果として、文字数は毎回1,200〜3,000文字に落ち着いています。

この2つを続けているおかげで、これまでまとめきれていなかった考えやアイデアがどんどんと、「一旦は」アウトプットすることに成功しています。

「毎日書く方法とその意義」への1件の返信

[…] まず短期的な理由ですが、やはり記述後の検索対策があります。手書きやアナログデータでは検索ができないということが、耐え難い状態です。実際に検索するかどうかではなくて、検索出来ない状態にあることに、そもそも耐えられないのです。そして本当に必要になったときに検索ができないと、苦痛です。また、記述速度の問題もあります。手書きについて書いた別の記事(毎日書く方法とその意義)でも言及していますが、思考に対して手書きというのが遅すぎます。僕自身が書くのが遅いだけかもしれませんが、手が疲れるし書くのがめんどくさいし、急げば何を書いているのかわからなくなるし、良いことがありません。その文字の崩れ方や、整わないことの柔軟性というアナログの特性を生かして表現の幅を持たせられることを利点に挙げる主張には一理あるとは思っていますが、それに対するデメリットも大きく、僕はデメリットの大きさゆえに容認できないという考えに至りました。持ち運びの問題もあります。手書きだと、道具一式を常に持ち歩くには荷物が増えます。メモが分散されたり、持ち歩くのを忘れたりすると、情報が不必要に分断されてしまいます。印刷された本もかさばるし、重たいし、良いことがありません。多元的刺激の良さは強調してもし過ぎることはないと重々承知しているつもりですが、やはり物理的な制約は苦痛を伴ってしまいます。 […]

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