若者の車離れと言われますが、その原因はここでは関係ありません。それが悪いことだとは全く思わないという話です。
高齢者の自動車事故が問題になっていますが、SDGs 的に考えても、車というのはすでに前世代の遺産であり、その在り方を考え直すべきときが来ているのではないでしょうか。日本という国は特に、自動車産業に支えられて成長してきた側面もありますし、世界の発展に自動車が及ぼしが成果は計り知れません。自動車産業のこれまでには大いに感謝すべきと思います。
でも、転換期を迎えたのであれば、客観的に、冷静に、本来進むべき方向を問うべきです。自動車はこのまま存在していても良いのでしょうか?
僕は、もう不要だと思っています。 かつて人々が馬や馬車で移動していた時代から、自動車全盛の時代へと移り変わりました。その結果、移動のために馬に乗る人はもうほとんどいません。趣味で乗ったり、馬を愛でたり、別の形でその価値が残されているわけです。自動車も、遠くない将来にそうなることが予想されます。そういう形で残っていただければ十分で、もう、従来型の自動車産業は衰退していただく時だと思っています。
自動車は便利です。好きな時に移動ができるし、プライベートな空間を持つことも出来ます。快適です。運転という苦痛は伴いますが、総じて移動の満足度が向上します。でも、そんなことをして良い時代は、とっくに終わったのではないかと思っています。一人だけ、あるいはグループだけで移動できる乗り物は、はっきり言えば、過ぎた贅沢なのです。
地球環境に過剰な負荷をかけてまで、命を危険にさらしてまで、移動に自由や快適性を求めることは許されるのでしょうか。対価を支払って終わり、というレベルではないと思います。本来支払うべき対価を払いきれていない、アンバランスな状態ではないでしょうか。安全や環境という見えないものを見ないで、文字通りタダ乗りをしている状態ではないでしょうか。
短期的な影響だけを見ても、交通事故による命の危険があります。よく考えたら、簡単に人を殺せすぎてしまうものです。交通ルールの運用も人間の判断に頼りすぎて複雑で、完璧に守ることが難しい状態です。自分がルールを完璧に守っていても、守らない他者が原因で命を落とすこともある理不尽なものです。
未だに、根本的な解決がなされていない未発達な状態だと言えます。利便性が高すぎて、産業として発展させるべき理由が多すぎて、誰もが見て見ぬ振りをしているように思います。
そんな車のマーケティングは、華やかにして良い訳がないと思っています。タバコのマーケティングと同じく、もっとおぞましい啓蒙を伴わなければ嘘をついていることになります。
正当な評価をすれば、あんなに便利なものは有りませんし、文明が発展するためには必要なものです。それを禁止することはまったくもって理にかなっていません。発展のために、何かを犠牲にするという考え方はあまり好きではありません。それよりも、別の生産的な方法を生み出すことを考えるべきです。
何より、田舎や、アメリカのような鉄道が発展しなかった国では、やはり車が無ければ何も出来ないという場面が多々あります。必要性がそこにあるのだから、大きな発展の余地はまだあるわけです。できれば、みんながプロに任せるところからでも始めてもらいたいと思っています。いまのタクシーは選択肢が少なすぎるので、Uber のように、カーシェアやライドシェアが社会インフラを担えるようにまずはなってほしいと願っています。
電気自動車と、それを操作するための自動運転技術が、今の所の本命です。早期に発展、普及し、市場が入れ替わる状態を実現させてほしいと心から思います。
日本は従来の自動車産業に多くを依存してしまっています。産業として無くすわけには行かないのは承知しています。でも、それを理由にこのまま突き進んで良い訳がないし、電気自動車と自動運転を広めない方向に努力することは明らかに間違っています。
従来の自動車産業が滅びることを望んでいますし、そのためにできることはやりたいと思っています。