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雑記

小国が成立した背景

過去にシンガポールに滞在していたことがあり、何度もシンガポールと他国との間を往復をする中で、あのとんでもなく小さな国が持つ力に魅力を感じていました。なぜ、あんなにも領地が狭い国が急成長を遂げたのでしょう。

シンガポールは、地政学的に重要な位置にあり、貿易の拠点としてその地位を築いた国です。そこまでなら、他の東南アジアの国々も事情は同じでした。しかし、あの国だけが特別になったのです。
英国統治時代を経て英語圏になったことは、決定的に重要でした。香港と同じです。前世紀の歴史の中で見れば、英国との関係が強かったことがその国の信用を生んでいます。
それでも、ただの貿易拠点に留まらず、世界の金融市場の主要な位置にまで発展できたことはすばらしい成果でした。貿易のハブから、金融のハブへと拡張に成功したということです。タイムゾーンも香港と同じにしてあり、法律や税制も、戦略的に金融の中心を狙ってきたわけです。日本がものづくり中心で苦戦する中、資源もない小国の生き方として、リスクをとって尖ってきたことが結果として功を奏した形です。

リスクを取れたことは何よりも大きい事だと僕は思います。アメリカ西海岸同様、入植者たちが挑戦をすることが可能な風土があったということです。積み上げたものがなにもないというデメリットを受け入れ、抱えるものが無く挑戦ができるという強みに変えた決断があって出来たことです。
そんなシンガポールのそのカルチャーは、いまもなお国民に受け継がれていると僕は感じています。国土が狭く歴史も無いため、伝統的な継承というものはあまりみられませんが、一方で頻繁に入れ替わる熱量の多い人達のハブとして、常に沸き立っている状態を維持しています。家事を担う住み込みの人がいるのが当然の住宅設計にしても、リゾートとビジネス街の近さにしても、完全に働いて稼ぐための国として機能しています。
また、シンガポール国民には兵役義務があるため、移民した二世からは軍に入る必要があります。それもあって、狭い国土の中で愛国者とビジネスパーソンのバランスがうまく取れているのではないかと思います。

オランダもまた、魅力的な国です。

小国でありながら、大国スペインとの戦争や国防をやり遂げ、同時に世界各地への植民地開拓にも注力できた国です。サピエンス全史の中にも、オランダが信用獲得をできた理由が考察されていました。
オランダの戦略は、信用を用いた経済的な後ろ盾を持ち、国力を増強していくことでした。借り入れた資金の返済は、期限内に全額返済を厳守して信用を積み上げたという記録があります。財政的にずさんであった周辺の強国との差別化です。
さらに財産の独立性を国家が保証し、レバレッジを大きくかけることに成功しています。オランダは、金融の大変に重要な部分を初期から理解していたことになります。

台湾も忘れてはいけません。

僕はかつて、台湾という国の重要なポジションにおられた方と密にお話をさせていただく機会があったので、ドットコムバブルに乗った急成長の背景については詳しく教えていただきました。
特に、半導体生産へのコミットをしてからの成長は、今でも台湾を世界の重要な地域としています。2021年現在でも、世界の半導体需要の急増と半導体の枯渇によって、商業的な側面でだけ考えても重要性が増しています。それ以外の要因を含めれば、現在の世相において、台湾という国の持つ価値は計り知れません。
かつて Intel と Microsoft が採った画期的なビジネス戦略が、いかにしてあの国を急成長さえ、共栄を成し得たかは、簡単には語り尽くせません。それでもあえて最も象徴的な部分を言うならば、アメリカと日本の貿易摩擦の後に変わったアメリカの戦略と、それに応えた台湾です。ゲームのルールを変えて知財を重視し、それを最大限に活用するエコスシステムを形成したアメリカは、台湾という国家をその重要な一部として組み入れ、プラットフォームの確立を実現しました。
日本という国も、日本の企業も、もっとそこから学んでも良いのではないかと思います。

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