非常によくできたすばらしい作品だと思います。美しい映像に、丁寧な作り込み。現代のハイクオリティーとはどういうものかを定義しているようです。そしてなによりも大ヒットしたので、間違いなく正義であり、存在価値は無限大です。
一方で、個人的にはストーリーが全く響かず、これまでの作品にあったような感動がありませんでした。これは、受け取り側の問題が大きいことです。話題作なので観たけれど、同じように感じている人がいるかもしれないとおもい、楽しみ方を提案してみます。
繰り返しますが、作品を楽しめなかったのは受け取り側の問題である可能性が高いです。泣けると聞きすぎたのがいけなかったのかもしれません。そういう目で観てしまったことが残念です。泣けるかどうかという基準で言えば、登場人物や表面的に現れる物語部分に共感できる要素が無く、常に客観的視点で観ていました。対象とされる視聴者層からはずれていたのかもしれません。クライマックスでは、エウレカセブンかな千と千尋かなとか、余計なことを考えてしまうほど集中できませんでしたし、音楽も単調に感じてしまいました。
公開時にリアルタイムで観たわけではありませんので、時代の流れの中での文脈を正確に捉えられなかったことも残念です。また、人間という社会的動物には、集団で社会的に影響を受けることで感情の変調幅を増幅させる特性があります。ひとりで切り離されて作品単体と向き合ってしまうと、コーヒーやワインのテイスティングみたいな状態になりがちです。別の言い方をすれば、雑念を排除し、複合的な要因の影響を最小限にし、ひとりで味わうことにはメリットとデメリットがあるということです。テイスティングをするのではなく、パーティーに参加するべき作品でした。
とてもわかりやすい作品であることに間違いは無いのですが、マクドナルドみたいな感じと言えば良いのでしょうか。誰が食べてもだいたい美味しいのです。ダブルチーズバーガーばっかり食べている僕としては、これ以上の褒め言葉は無いのでこれは褒めています。それでも、この作品に、監督に、勝手に求めていたことが多すぎて、期待とは違いました。
観た直後は、そんなことを思いました。
天気の子の楽しみ方は、岡田斗司夫さんの解説がなによりもわかりやすかったです。その内容も大いに参考になりましたし、自分の理解を補完してくれました。以下の文章は、大いに影響を受けています。(ちなみに僕はプレミアム会員なので、無料公開されている動画の先の先まで観ています。と思ったらこの動画に限って該当部分が全部無料になっている動画を見つけたので貼り付けます。)
この作品は、作者である監督自身が葛藤の末に、自分が作りたいものを作るという決意の現れであり、振り切れた姿だという解釈です。そう思って見直せば、しびれるほどの決意がみなぎった名作です。
秒速5センチメートルは大好きです。何度も観ました。そのように、過去の作品をその誕生当時に見ていた者としては、「君の名は」以降、葛藤が垣間見えていました。大衆受けする感動を売りにし、ヒット作を目指すのか。万人の理解は得られずとも自分が納得する作りたい作品を作るのか。後者の場合、大抵は国民的作品と呼べるような大ヒットは難しいため、両方を目指すためには段階を踏まなくてはいけません。それに、わかりやすい感動作を生み出すことの弊害も、造り手側は意識しているのでしょう。
例えばジブリ、宮崎駿は、その葛藤を続けた末に近年の作品が誕生していると考えることができます。村上隆がかつて著書の中で語っていた葛藤も、まさに同じ部分でした。
僕が理解している限り、うまくいく王道の展開はあります。その都度、時代に即した万人受けの要素を全面に押し出しつつ、一方で作者自身のこだわりやメッセージをその中に埋め込むことで、作品を重ねるごとに作者のわがままを通せる素地を築いていく展開です。教養的にも、商業的にも、感情的にも、思想的にもです。
天気の子に織り込まれた、思想的解釈や監督からのメッセージは特に腑に落ちました。
世界がどうなろうともかまわないから、自分のために祈る。この世界に何をしようが、一時的に社会に影響を及ぼすことはあっても、それで世界が終わったりはしない。人々はどんな環境でも生きていくことができる。
自分に言い聞かせるかのように主人公たちから語られるこれらの想いと覚悟は、これからも周囲の雑音は気にせず邁進するという、強い意思が感じられました。そう考えると、この先が楽しみでなりません。
売れるということの正しさ、その背景の葛藤、克服するための戦略的な設計、それが散りばめられた天気の子は、大変な名作でした。アニメ作家に限らず、あらゆる分野に共通する葛藤であり、問いを受け取りました。