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雑記

いらないものは捨てるのが正解ではないか

昔から、ゲームソフトを売ったことがありません。

思えば、子供の頃から二次流通がすきではありませんでした。中古で何かを買うのが嫌いという方向ではなく、売るのが嫌いです。自分が厳選して選んだものを手放す手段として、売るというのがまったくしっくりこないのです。

経済的な意味で無駄にしたくないために売るという部分は理解できますし、何事もそうやって経済的損失を最小化していくべきなのでしょうが、考えに考えて手にしたものを手放すときにはそれなりの理由があるわけで、その理由が邪魔をしてしまい、人に売るという行為ができないです。騙しているというのは言い過ぎにしても、明確に、必要性がないとか、自分の利用形態においては問題があったというものをどうして市場に放流できるのでしょうか。つまり、売るという行為に伴う意思判断や自問自動にとんでもないエネルギーを消費してしまい、もう捨てて楽になりたいと思ってしまいます。このあたり、全か無かの思考のあらわれかもしれません。

エコでシェアリングな SDGs をめざすエコノミーでは、自分の不必要が誰かの必要になり、それで回っていくというのは理解できます。しかしながら、自分に不必要になったものの正しい行き先は、消滅しかないのではないかとどうしても考えてしまうのです。こんまりメソッド的な、整理整頓、消滅させることによる決別、お別れの儀式としての破棄が、一番精神衛生上良いと思ってしまいます。こんまりが提示しているのは現代風の禅の修行なので、売るのではなく捨てていると自分は解釈しています。

個々にアイデンティティーの存在しない、あるいはそれが認識されにくい、株や仮想通貨の市場取引のように考えられたら良いのかもしれません。ですが、モノに関しては思い入れが強すぎるためか、何度試みてもできそうにはありません。では、NFT だったら自分はどう考えるのだろうと、新たな疑問が出てきました。どこかに、思い入れが発生し思考が複雑化する認知の境目があるのだろうと思います。

ちなみにメルカリは、ひとつ大きめのものを売ったことがあるのですが、そのまま放置してたら売上金を没収されてしまい、それに絶望してから使っていません。

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