普段、仕事では英語と日本語のあいだを行き来することが多い。同時通訳の負荷も、言葉が通じるだけでは何も足りないことも、身をもって知っている。相手の意図、前提知識、温度感、そしてその場で何を決めたいのかまで読み取りながら、ようやく意味のある通訳になる。
今、その感覚は AI の登場によって別の形ではっきりしてきた。英語と日本語の通訳そのものは、近い将来かなりの部分を AI が肩代わりするだろう。それはもう避けられないと思う。けれども、その先に新しく必要になる能力がある。それが、人間と AI のあいだを通訳する能力だ。
現状の AI は万能に見えて、実際にはかなり繊細な相手である。メモリの持ち方にも構造上の制約があり、文脈の圧縮や展開の仕方にも癖がある。人間同士の会話であれば曖昧さや飛躍はある程度補われるが、AI との対話ではそこがそのまま性能差になる。何を前提にし、どこまでを省略し、どの順番で情報を渡すか。その設計によって、同じ AI でも返ってくる結果は大きく変わる。
この感覚は、通訳の仕事とよく似ている。英語と日本語のあいだを往復するとき、自分はできるだけ余計な文脈を消費しないように話す。関西弁のようなローカルな表現は使わず、明瞭なセンテンスで、結論を先に置く。一文はできるだけ短くする。もともと Markdown 的な記述を好んでいたので、会話をするときも、どこか Markdown でしゃべっているような感覚があった。共通認識として使えるフレーズができたら、その定義を先に置き、あとは短い呼び出しで会話を圧縮する。通訳とは、言語変換である以前に、文脈圧縮の技術なのだと思う。
この考え方は、そのまま AI 時代にも持ち込める。人間同士の会話においては、セマンティックな構造を過度に整理しすぎると不自然になるため、Markdown 的な整理が現実的な落とし所だった。しかし AI に対しては、その傾向がさらに強い。前提を揃え、目的を明示し、制約を定義し、出力形式を先に決める。そうするだけで、対話の質は劇的に変わる。つまり、AI と会話する能力とは、単に質問が上手いことではなく、思考を構造化して渡す能力なのだと思う。
問題は、多くの人が日常的に Markdown で話していないことだ。人間同士であれば、それでも会話は成立する。だが AI との対話では、その曖昧さがそのままロスになる。だから今後は、人間の自然言語を AI が理解しやすい形に変換する通訳が必要になる。いわゆる prompt engineering と呼ばれる領域も、その一部だろう。だが本質はもっと広い。その場で適切な sub-agent を使い分けること、特定領域に特化した workflow を組み、文脈を圧縮したまま自動化をつなぐこと、短期記憶と長期記憶を意識的に使い分けること。そうした能力全体が、新しい意味での言語能力になっていく。
これまで言語能力とは、外国語をどれだけ扱えるかという尺度で測られてきた。しかし今後は、それだけでは足りないだろう。人間の曖昧な意図を、機械が処理できる構造へ翻訳する能力。逆に、AI が返してきた結果を、人間の判断に耐える形へ再翻訳する能力。その往復運動こそが、次の時代の知的生産性を決める。
語学が不要になるとは思わない。むしろ、通訳の本質が何だったのかが、AI の時代に入ってようやく見えてくるのかもしれない。これから必要とされるのは、英語力や日本語力だけではない。人と AI のあいだに立ち、意味を削らず、文脈を整え、意図を正しく渡す力。そういう意味での通訳者が、これからの社会では想像以上に重要になるのだと思っている。
