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雑記

インフラを生成する

Jansen が言っていた。

プログラムを設計してコードを書いて、問題を解決するという力任せの時代は終わると。これからは、問題を共有し、解決策を生成する時代になると。

生成 AI は、何かを生み出す。
テキストをつくる。画像をつくる。コードをつくる。
でも、それはすなわち、汎用的であり、やがてはインフラをつくる側にもなりうると、最近は実感している。

これまでは、ざっくりと言えば次のようなサイクルを経てきた。

  1. 人間が都市や社会の構造を設計し、営む
  2. その結果として生まれた産業が、ハードウェアとソフトウェアを開発する
  3. 収集したデータを流し込む
  4. プロトコルや法律や経済の制度が確立される
  5. そして AI が稼働する

でもこれからは、AI 主導で次のサイクルに入る。
そのとき、「1」はもはや人間の認知の範囲でどうにかできるものではなくなる。AI はミラーワールド、あるいは仮想空間の中で都市を生成し、様々な社会設計を検証することだろう。税制度や輸送ネットワーク、教育政策や金融政策なんかも、シミュレーションするだろう。そして恐らくは、あるいは願わくば、成果が最も広く公共の利益に貢献する施策が採用され、実装されるのだろう。

そんな時代がもう目の前に来ている。

半導体を AI が設計する時代、ロボットを AI がミラーワールドで設計する時代。そしてその先にある、社会構造を生成する時代は、すでに幕を開けているのかもしれない。

「生成」という言葉には、即興的で非構造的なイメージもある。でも実際には、生成 AI は構造を発明する能力に長けている。自然界がそうであったように、一見すると無秩序に見える成果の連続性を俯瞰して観測したとき、そこには一貫した論理が見出されるのだろう。
それを人間が認知できるかどうかは、わからない。

行政の中にもこうしたテクノロジーや、それを受け入れる体制が入れば、従来とは違うタイプの政策づくりが可能になる。データがあるかどうかではなく、エビデンスというレベルの評価基準でもない。検証した結果が実装される社会が誕生する。
そのときは、ゲームのルールが変わる時であり、民主主義の在り方も、変わらざるをえないのかもしれない。

都市をつくる。制度をつくる。ライフラインをつくる。
これまで人間にしかできないと思われていたそれらの行為が、当たり前のように人間よりも質の高い最大の成果に結びつく──そんな時代が、検証を経て実装される段階に来ている。

その時の「正しさ」や「最大の幸福」や「もっとも良い結果」の判断基準は、誰が、どうやって定めることになるのだろうか。人間には、その判断を下すことすら、もうできないのかもしれない。

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