資源が戦略になる時代というのは、いつも後から振り返って意味が見えてくる。
石油の時代がそうだった。エネルギー資源を生み出すための一次資源としての、石油だ。19世紀末には灯りを灯すだけのものだった油が、20世紀を通して国家の命運を分ける存在になっていった。
今、似たようなことが計算能力資源にも起きつつある。
これまで抽象的な単位であった計算能力資源が、GPU という単位になり、市場取引の対象になった。
生成 AI を動かすには、GPU が必要だ。しかも、ただの GPU ではなく、高速なメモリ帯域と並列演算性能を持つものが、2025年初頭の段階では必要になっている。生成 AI 市場における GPU は最重要インフラの一部であり、資源であり、通貨である。それも人間を超越した存在と価値を共通認識できる、数少ない資源であり、通貨だ。
生成 AI 市場が拡大し、市場全体の中で割合を増すごとに、誰がその資源をどれだけ握っているかが重要視される。それは、そのまま経済圏の分布や、プロトコルの主導権や、社会制御の可視範囲を決定することに繋がる。
しかし、GPU の価値はただの所有では決まらないという点はおもしろい。ここも、石油に似ている。GPU は結局、電力がなければ動かないし、冷却ができなければ密度を上げられない。最適なソフトウェアがなければ、せっかくの資源も活かしきれない。
つまり、GPU の時代には、「資源を持っている」だけではなく、「資源を回せる構造を持っているか」が問われる。石油が産地と消費地の間で政治的な緊張を生んだように、GPU もまた、地理と権力の構造に組み込まれている。
この時代に生きる自分たちが、そこにどう関わっていくかを考えるとき、「どこに GPU があるか」よりも、「どうやって GPU を社会の中に埋め込むか」に焦点を当てるべきだと思っている。
都市の中に、地域の産業の中に、教育の現場の中に、GPU をどう流通させるか。AI インフラがクラウドの中だけにあるのではなく、地域の中で自律的に使われるようにするにはどうすればいいか。
その問いに向き合う時代が、もう始まっている。
もうひとつ追記すれば、GPU(GPGPU)は現在この瞬間の単位であり一次資源に過ぎず、そこも石油に似ていると思う。結果として得たいものが計算能力資源である限り、今後は GPU 以外の半導体資源の急速な成長は間違いない。サステナビリティーはここでも鍵だと思う。
