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雑記

差別の急増で思い出す過去・前編

今になって差別問題が急増しているのではありません。これは過去からあり続けた人類の課題であり、その中のごく一部がインターネットの発展と情報網の拡大によって広がり、目に留まっているだけです。Black Lives Matter もアジア人へのヘイトクライムも女性差別も、そのどれだって許されるものではないし、根絶を願うものです。

若い頃の経験は鮮明に残るもので、今思えば自身の貴重な財産を得られたと思える出来事がありました。口にするのも心苦しくてこれまで表に出したことはありませんでしたが、いつかくる明るい未来を願って、少し思いを記録しておきます。

日本で育った幼少期から、僕がいた環境は多少特殊でした。とんでもない田舎の出身なのですが、いくつかの偶然と、両親や家族の過去の社会経験や比較的オープンな考え方の影響により、多くの文化と触れ合うことに恵まれていました。
中東、ヨーロッパ、アメリカなど、あの時代の日本の田舎とは到底思えないほどに、様々な国から来た人たちと時間を過ごし、直接考え方を教わりました。同時に、父親や祖父が若い時に異国を旅した話なども聞きました。

子供ながら、なぜイスラム教というものがあり、豚肉を食べないのか、なぜ食事を取らない日があるのか、衝撃的でした。クリスマスの意味も教えてもらいました。靴のまま部屋に上がる人もいました。ニンジンをそのまま食べる人も、ブドウを皮のまま食べる人もいました。言葉は通じませんでしたが、ジェスチャーや絵を使って、いろんなことを教えてもらいました。

そうこうしているうちに、なぜ日本の天気予報で「全国の天気」と言いつつ日本列島しか映らないのかが不思議になりました。もちろん後になって、全国の使われ方には別の意味があると知るのですが、単純な言葉の意味と異なる実態に戸惑った記憶があります。そこには、シアトルもパキスタンもロンドンも無かったからです。

一番ショックだったのは、テレビのニュースで見た湾岸戦争です。当時小学生になったばかりかそれぐらいだったと思います。無知だった僕は中東やその周辺の国々の違いが理解できていなかったので、イスラム教のことやコンピューターのことを教えてくれたパキスタン人の人がくれたのと似た民族衣装を着た人達と、靴のまま家に上がってきたアメリカ人の祖国がミサイルを撃ち合っているという映像に恐怖を感じました。
後にあれが Nintendo War と呼ばれていたと知りましたが、僕はファミコン尽くしの少年でしたけど、ファミコンとは次元の違う、全く別のショックを受けました。あの恐怖はゲームとは明確に異なりました。

ただただ、他の国にいるみんなの無事を確かめたかったし、こんなことはやめてほしいと思いました。世界中に行ってみたいと思ったのも、日本という特定の国のみを信じるのではなく、いろんな視点で世の中を見てみたいと思ったのも、あの時の体験が根底にあります。

だから、直接的にはなんの意味もないと知りながらも、中学生になった時に交換留学の話を聞いて、行きたいと思いました。その行き先が幼い日に話に聞いていたアメリカのワシントン州だと知った時、大きなチャンスだと思いました。

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