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雑記

自ら体験することの重要性

百聞は一見にしかずといいますが、実体験はなによりも脳に多元的に情報を書き込むため、重要度が高いという話です。

自身のこれまでを振り返ってみても、人から聞いたり本で読んだりしたことが本当は理解できていなかったんだと後で気づくことは多々ありました。むしろ、大半のことは、後からの実体験によってようやくことの重大さを確認でき、頭に刷り込まれるという具合でした。

これがこれまでの人間社会の真理なのかもしれません。教育は大切だし知識として詰め込む事は決して疎かにできないのですが、体験が伴うまでは本当のところは血肉になっていないのではないでしょうか。
もしかしたら、僕は想像力が足りなかっただけかもしれません。もっと人の多元的に想像ができるひとであれば、リアリティーをもってイメージができるひとであれば、見聞きした段階で問題を把握し、対処法を理解し、脳にインプットできるのかもしれません。僕はどこの段階でそれを失敗しているのかわかりませんが、少なくとも大半のことについて、知っているは不十分でした。ここまで体験が重要などということは、本当に解っていませんでした。今もまだ真髄を理解できていない可能性を危惧しています。

とう思うと、コロナ禍の今は教育に不向きだと言えます。適切なタイミングで適切な体験をするべきなのに、それが制限によってできない世代がいるということは、大いなる損失になりえます。単純に思えた日常的な体験ですら無くなった今の子供達は、すでに僕たちの知らない世界に住んでいるレベルで異なった認知をしている可能性があります。
同時に、先の世代が今の僕の年代で体験したことも追えなくなっているわけです。つまり、すべての世代がこれまでとは違う環境におり、なにかこれまでに共有していた概念を理解し損ねることになっています。

それはそれで新しい常識として受け入れられるべきではあるので、悲観的に考える必要はないのかもしれません。ただ常識が、時代に合わせてアップデートされただけと前向きに考えることもできます。そしておそらくそれで良いのだと思います。しかし変わらないのは、この現状を経て向こうの数年、数十年は、過渡期にあるということです。体験を共有できない人達が大半になります。

そこで重要になるのは、VR かもしれません。仮想の世界で、これまであたりまえだったことを仮想的とはいえ体験することができるからです。そこは現実世界とは異なりますが、多元的に刺激を与えてくれる場所であり、かつ高速に複数の体験を効率よくできる場所でもあります。

この先、旅行やイベントや飲み会は全く別のものに生まれ変わる可能性もあります。つまり未来はそのあたりに眠っているのではないでしょうか。

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