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個人が最強になる時代・前編

いわゆる会社というものを経営する立場として社会に接してきて、痛感し続けたことがあります。それは、人と人との協力、協調、コラボレーションがいかに大切かというシンプルな事実です。

正直に言えば、その重要性をあまり理解できていませんでした。頭では、1人でできることなど少なく、組織として、チームとして初めて成し得る事があると理解しているつもりでした。でも実際にはそれを本心から信じることができず、体験を通して実感をする必要がありました。

歴史を見ても、このコンセプトは正しいことがわかります。過去を振り返って、単独であったり、少数で大きな事を成し得た事例など記録にほとんど残っていません。全くなかったわけではないと思いますが、歴史に残るほどの事案というものに限って言えば、思い当たるものがありません。
ある1人の天才が伝説を作ったというような類のエピソードにしても、紐解けば大抵の場合、最初に始めた人の功績を称える目的であったり、神話を創造するために、目立つ人物以外の存在を見えなくしているだけです。例えば Steve Jobs にしても、Macintosh も iMac も iPhone でさえも、造った人だとは言えません。造った人たちの中のリーダーではあっても、造った個人がいるわけではないのです。

特に現代の産物は複雑な構造を備えており、単独で造り上げることの難易度は増しています。何らかの構造物や製品にしても、医療や金融などのサービスも、もっとアナログで一見シンプルに見えるなサービスであってもです。
ソフトウェアに関しては、1人でもレバレッジをかけてできることが多くあります。それでも、流石に近年の複雑なニーズに応える製品ともなれば、誰の力も借りずに完成させることは不可能に近いです。というか、そもそもソフトウェアの世界では昔から、先人が造った部品を再活用することを推奨されてきたわけで、その意味でも、成り立ちの初期の段階から、コラボレーションは継続されています。
よくよく考えればそれは当然で、日々使う道具を見るだけで、積み上げられてきた時代を感じ取ることができ、複雑なコラボレーションを体感することができます。

要するに、本来、世の中の何か大きな役割を担い問題を解決することを目指す場合には、チームの存在、及びそのチームとの円滑な連携という行為が欠かせませんでした。そこがスタートラインであり、前提であり、共通しているゲームのルールだからです。
ですが、そんな時代がもしかしたら、変化するかもしれないと感じるようになりました。組織の重要性、コラボレーションの力を知り始めて間もないわけですが、その先に関心が移っています。

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