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雑記

コートにあるボールだけを見る

テニスの試合で勝つために必要なことは、後悔しないことだと聞いた事があります。正確には、試合の最中に、プレーを継続している時に、後悔をしない事です。それは真理だなと思い、事あるごとにその言葉を思い出します。

テニスのように、頭も体も最高速度で動き続けなければならない競技では、思考の停滞は命取りになります。反射神経の限界に挑むような速度でボールは飛び交いますし、常に相手の先の動きを読み合うような頭脳戦でもあります。それでいて、力も使いますし、瞬発力や体力も必要とします。

一瞬の判断が連続して求められる状況下で、変えようのない過去の回想など、まったくの無駄だということです。冒頭の言葉は、人間はどうしても学習をして生存確率を上げるために、自動的に後悔をはじめ、短期間で改善を試みると当時に、自己を防衛する性質があるからこそ、意外性を持ちます。目を背けずに後悔し振り返ることは良いことだとされていますが、極限の実践の場では不要な機能になるのです。

常に、目先の問題解決に全力を注ぎ続けなければ、道は開けません。当然、振り返って対策を練ったり改善する必要が無いわけではありませんが、その時間的ロスは見落とされています。また、自分の失敗を認めることの精神的負担も大きいのです。精神的負担の上昇は、思考の低下をまねきます。それは直接的に勝利への意思を弱める流れを作ってしまいますし、結果的に体のパフォーマンスを著しく低下させるのです。

つまり、実践の場ではもうあれこれ考える段階が終わっているという事を意味します。そこは、実践の場なのだから、当然のことです。
これは、事前にあれこれと対策を練って考えを巡らせ、イメージを取り入れる準備が重要であると意味しています。反射的に動けるほどに、身体にそれを覚え込ませる練習が重要であると意味しています。しかしそれは事前にやるからこそ意味があるわけで、実践の場ではその状況に適した最適な状態があるのです。試合の最中に振り返りをして対策を検討しても、身体がその短時間では変化に対応できません。常に、コートにあるボールに注意を向け、これまでの蓄積と練習量を信じて無心に反応的に動き続け、勝利のためにボールを打ち返すのが最適解です。

練習や準備と、実践とは違います。これを混同してはいけないと、この言葉を聞いて思うに至りました。どちらも大切で、手を抜くべきではありませんが、それぞれに最適なモデルが存在することは明らかです。
なお、ここまで言っておいてなんですが、テニスはやったことがありません。

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