そして掘るための NFT という話です。
昔から人類は、価値のあるものを掘ってきました。価値のあるものは大抵、埋まっているということです。
化石燃料も鉱石も、埋まっていました。逆に言えば、埋まっているから価値が高いわけです。埋まっていなければ、誰にでも入手可能です。どれほど生命維持に必要な資源であっても、入手や加工の過程で情報の非対称性や物理的制約がなければ、価値は生まれません。塩は生命に必須ですが、沿岸地域では取り放題です。水であれば、無料同然の地域から、高価な地域まであります。価値とはつまり、得ることが難しいから生まれます。
自分自身の中から価値を生み出すクリエイターは別かもそれませんが、それ以外の方法で世界の、社会の資源から価値を生み出すには、何かを掘ることが最もリターンが大きいです。当然リスクもありますが、入手困難な価値を手に入れると優位性が高まるので、いつの時代も野心家の熱意の対象になります。それには文字通り穴を掘る活動も含まれますが、得難いものを掘り当てる作業全般を含めて、掘る行為と考えます。
掘る以外にも、掘る人を支える価値の生み出し方もあります。ゴールドラッシュの時のリーバイスもそうですが、道具や食事、休息を提供する仕事もまた、同様に掘るという価値創出の周辺産業と言えます。
人は単独で行動するわけではありませんので、大抵の場合組織だって、役割を分担した上で、価値創出に励みます。そうしないと生きていけないからです。高度に役割を分担され、抽象化することで生産性を高めた現代の社会においては、欠けている役割を見つけ担う事が生命の安定につながります。
自分が所属する組織が、何を掘る立場にある場合、自分たちがなにを掘ろうとしているのかは理解しておくべき事項です。その掘っているものの生み出す価値がイコール、自分が得られる価値になるからです。
話をインターネット周辺の、情報通信産業に限定しますが、ここでも掘る事が価値を生んでいます。ビットコインは、取引記録を証明するために暗号を解くという計算によって、仮想的にですが埋蔵された価値の採掘をしています。デジタル広告分野では、あふれる小さな個人情報から、本当に価値のある行動傾向や消費動向を掘り当てようとしています。電子化された金融分野もまた、数々の一見無意味に見える指標から、有益になる予測を掘り出すことを今日も目指しています。
この先さらに、二酸化炭素排出権のような、価値を証明する事が難しかったけれども、価値を論理的に説明する事が可能なものが採掘の対象になります。ブロックチェーン界隈で起きている NFT ブームも、その文脈で考える事ができます。アートやゲーム内のデジタルアイテムなどに、論理的に価値を証明できる方法を生み出しています。そうなえば一気に、掘れる鉱山が増えます。
目の前に、金の埋まった山があるかもそれません。それがいま起きている変化であり、デジタルトランスフォーメーションという形で、停滞しかけた経済成長を促進する方法になっています。
良い悪いの思想は一旦傍において、この事実だけ見れば、生物としての本能に従って生きる安全性を高めるには、価値の高いものを掘る意識が必要でしょう。そのさきに資源の枯渇があるのか、奪い合いの争いがあるのか、新たな境地があるのかはまだわかりません。今のところ、人類は概念を抽象化させつつ、螺旋階段のように階層を高めながら同じことを繰り返しています。
繰り返しの中で大きく変わっているのは、価値の捉え方です。本来、レイヤーの低い層であるほど、得られる価値が高く、リスクも大きいはずです。しかし、抽象化された現代の社会では、 そうとは限りません。コーヒー豆を作る農家よりも街のカフェの方がはるかに利益を出していたり、資源の採掘をするよりもその権利の売買をする方が遥かに利益を出しています。これが、価値の捉え方の変化です。掘った資源を加工してさらに別の採掘によって得た資源(例えば都会の立地の良い土地や消費行動が顕著に伸びると証明できる売り方)と融合させ、全く別のものを生み出す事が行われるようになりました。
なにを掘っているのかが、実は変わっていったということです。ルールが変われば、価値の源泉は簡単に変わってしまうのです。ブロックチェーンの持つ性質と、それを最大限に利用し現代の経済活動に切り込む余地を持った NFT は、そう言った変化をたくさん生みます。